墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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岩橋千塚古墳群(和歌山県立紀伊風土記の丘)へ  和歌山県和歌山市岩橋

3月上旬の古墳旅の3日目。

橿原神宮駅から朝一番の電車に乗って和歌山市の特別史跡・岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群へ向かった。

当初の計画では大阪府の古市古墳群を訪ねるつもりだったが、直前に東博で見た埴輪に惹かれて予定変更。

 

6時7分 橿原神宮発の近鉄吉野行きに乗って、吉野口でJR和歌山線五条行きに乗り換え、 途中で和歌山行きに乗り継いで田井ノ瀬駅に8:12着と、2時間の旅。

五条から西の南側車窓には、1時間以上にわたって紀ノ川の向こうに標高差6~700mほどの山並みが長大な屏風のように続いていて圧巻だった。

古代、紀伊水道から紀ノ川を遡ってヤマトに入るルートを辿ったことになる。

 

紀伊風土記の丘の公式サイトには、和歌山駅からバス便のアクセスが紹介されているが、田井ノ瀬駅から徒歩30分も記されていたので歩いてみることにした。

 

田井ノ瀬駅は和歌山駅のひとつ手前。乗った電車を見送って。

 

跨線橋の上からの風土記の丘方向。

 

反対側のホームからみた待合スペース。

 

非常に小ぢんまりとした駅だった。タクシーもいないので、スマホマップを頼りに歩き始めた。

 

途中にあった高橋神社。

 

神社は駅から丘への中間地点くらい。

 

御祭神は饒速日尊と樋速日尊。 

 

結構広い境内に2つの社殿が並ぶ。

 

摂社末社も並んでいて、社に見つめられている気分になった。

和歌山県神社庁のサイトによれば、神名帳に正一位高橋大神とある神社であり、境内近辺で笛を吹くこと禁じられていた笛不吹明神社でもあったとのこと。祭神の饒速日(にぎはやひ)尊は古来から、岩橋村に住む高橋姓、笛吹姓の2姓の祖神として祀られてきたそう。

http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1031

 

参拝後に住宅街を抜けて紀伊風土記の丘へのプロムナードに出た。朝の8時半くらいだったが、風土記の丘の周遊コースを散策する地元の方が大勢いらした。

 

紀伊風土記の丘の資料館では非常に興味深い常設展示や企画展、さらにイベントが開催されている。

http://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/

 

入口近くには周囲12mの巨大な切り株が展示されていた。

平成23年9月の台風12号の通過後、紀ノ川(和歌山市六十谷橋付近)で発見されたクスノキで、樹齢350年だが放射性炭素年代測定法によって西暦700年前後に枯れたと判明したので、古墳時代から奈良時代にかけて生育していたものと考えられるとのこと。

 

ぜひ見学したい資料館だったが、この日は月曜日で休館。風土記の丘の古墳巡りは月曜でもOK。

 

桜並木はまだ蕾。3月12日はまだ梅の時期だった。

 

入口にあった案内板。 岩橋千塚古墳群で確認されている古墳の総数はなんと850基で、その内の特別史跡指定範囲内だけでも430基。毎日1基の紹介だと1年2ヵ月かかってしまう。

特別史跡 岩橋千塚古墳群
岩橋千塚古墳群は、和歌山県東部の岩橋山塊に位置しています。東が矢田峠、南が和田盆地、西と来たは日前宮のある平野に接した、東西約3km、南北約2.5kmの範囲に5世紀初頭頃から7世紀後半にかけて焼く850基の古墳が造られました。この範囲は地形などから花山・大谷山・大日山・前山A・前山B・和佐・井辺・井辺前山・寺内・山東の10地区に区分されています。
古墳群はすでに江戸時代にその存在が知られていましたが、明治期に徳川頼倫や大野雲外らによる調査が実施され、明治44年(1911)にはN.G.マンローの著書「Prehistoric Japan」により広く海外にも紹介されました。その後も和歌山県や和歌山市等により、発掘調査が実施されています。この古墳群には大小の前方後円墳、円墳、方墳が混在して分布し、各古墳には横穴式石室、竪穴式石室、箱式石棺など多様な埋葬施設が造られています。また、紀ノ川南岸に分布する結晶片岩を用いた横穴式石室は、石棚・石梁を持つ独特な「岩橋型横穴式石室」として知られています。
この古墳群のうち、最も古墳が密集する約430基を含む範囲が国の特別史跡として指定されています。和歌山県では、岩橋千塚の県有地化を進め、昭和46年(1971)から紀伊風土記の丘として古墳群の管理を行うとともに、資料館を開設して岩橋千塚古墳群をはじめとする県内の考古・民俗資料の展示を行っています。

 

全体の範囲を示す地図。

 

上記の青い部分、特別史跡エリアの拡大図。ここだけでも気が遠くなるほどの数。

 

散策路があったので、左回りに一周することにした。

 

翌週の3月18日には、年に一度の大日山35号墳の石室公開があったが、2週連続で和歌山には来れないので次の機会を待つとした。

 

一週間前の3月4日には、なんと天王塚古墳の石室が54年ぶりに公開されていた。

特別史跡エリアの東側にある前方後円墳で、入口の案内板に写真があった。石室上部に石の梁が複数設置されている。

 

古墳にコーフン協会さんのサイトで貴重な探訪記が見られます。

http://kofun.jp/diary/8365.html

 

つづく。