前回のつづき。
田中橋交差点から東に150mほど進むとマンションの陰に木立が見えてきた。
金網の向こうに土盛りが。
金網の内側に説明板があった。
経塚古墳説明板。
隙間にレンズを差し込んで右半分。
経塚古墳は、5世紀後半ごろの築造と推定される円墳で、当初、直径40m以上の墳丘に、幅10m以上の周溝がめぐっていました。
以前は、墳丘上に、中世13世紀から16世紀にかけての板碑が、約30基ひど林立していました。そのうち10数基は、いまも泉龍寺に保存されています。また墳丘から常滑の蔵骨器も出土しています。中世墳墓として再利用されたのでしょう。
さらに経典を埋めたという伝承があり、泉龍寺を開創した奈良時代の良弁僧正の墓とする伝承もある複合的な遺跡です。
平成9年12月、狛江ガーデンハウス新築に伴い、泉龍寺と住友不動産株式会社により、土留め等の整備がなされ、貴重な文化財として保存されるkとになりました。
平成10年3月 雲松山泉龍寺 狛江ガーデンハウス管理組合 住友不動産株式会社
左半分も。
「江戸名所図会」(1834年刊)の経塚
墳丘上の松の木の下に、よく見ると、板碑が立っているのがわかります。経塚古墳の見学を希望する方は、となりの狛江ガーデンハウス管理室、または泉龍寺までお越しください。なお、無断で古墳内に立ち入ることは、ご遠慮ください。
墳丘へのドアは閉まっていた。
見学希望者は隣の狛江ガーデンハウス管理室までと説明板にあったので寄ってみることに。
管理室はわかったが「巡回中」
あきらめかけていたら清掃中の管理人の方を見つけ、古墳の件を伺うと快く応じていただけた。
扉が開いた!
急斜面だが階段が整備されている。
上がって振り返ったところ。杭とロープで区切った場所を歩くことができる。
なかなか広い墳丘だった。
墳丘から北側の眺め。
南のバス通り側。
東と西はマンションに挟まれている。
円墳の直径は40m以上とあるので、直前に行った兜塚古墳に近い大きさだが、高さはこちらの方があるようだった。
昇寛さんのサイト ・狛江市狛江古墳群経塚古墳 » 埼群古墳館には高さ5mとある。
(兜塚古墳の高さは約4m)
管理人の方のお礼を言って帰路についた。
途中で墳丘の全景を撮り忘れたことに気づいて、通りの対岸側に戻っての一枚。
左右のマンションを入れるのには斜めに撮る必要があった。
狛江駅までは徒歩4分。経塚古墳は駅近立地だった。これでこの日の墳行は終了。
「狛江百塚」の名前のとおり、東京都遺跡地図のサイトの見ると、まだまだ周囲に古墳跡が点在している。折を見て再訪したい。
ホームの端からは隣の和泉多摩川駅に停車中の電車が良く見えた。