前回のつづき。
高松塚古墳見学後、直線距離で2kmほど東、石舞台古墳の近くにある都塚(みやこづか)古墳へ向かった。細いクネクネ路だったので実際の距離は倍くらいか。
スマホマップのお蔭で迷わずに到着。周りを畑に囲まれた斜面にあった。
現地説明板。国会議事堂の塔屋のような復元イメージ図がある。
都塚古墳
都塚古墳は、正月元旦に金鳥が鳴く伝承があり、金鳥塚とも呼ばれている。横穴式石室に家形石棺を納めた、6世紀後半の後期古墳である。墳形は東西41m、南北42mの方墳で、1~1.5mの周溝がめぐっている。墳丘は川原石を2~3石積み上げた石段が、少なくとも6段以上あり、非常に特殊な構造をしている。埋葬施設は南西に入口を設けた横穴式石室で、全長12.2mで、玄室の長さ5.3m、幅2.8m、高さ3.55mである。床面にはバラスが敷かれており、暗渠排水溝が設けられている。この中央部に二上山産の凝灰岩で造った刳貫式家形石棺がある。石棺の長さ2.23m、幅1.46m、高さ1.72mである。出土遺物には、鉄鏃・刀子・須恵器などがある。
周辺には、石舞台古墳や塚本古墳などの大型方墳があるが、都塚古墳はこの中で最も古く位置づけられ、しかも、段状の石積みをもつ特殊な構造をしていることから、飛鳥前史を理解するためにも、重要な古墳といえる。明日香村
横穴式石室が開口する墳丘は、2014年8月の調査で突如脚光を浴びる。
明日香村教育委員会と関西大の調査により、国内では類例がない”階段ピラミッド” 型であることが明らかになった。
都塚古墳のある位置は、蘇我馬子の墓との説がある石舞台古墳から山裾を上がって400mほどで標高は10m位高くなる。
下記の日経 2014年8月13日の記事では、被葬者は蘇我馬子の父、蘇我稲目との説も紹介されていた。
2016年5月27日の朝日新聞の記事では、ピラミッドのように石を階段状に積み上げた墳丘には12万9千個の石が使われて延べ3万人が築造に関わったとの説を発掘調査報告書から紹介、「当時の飛鳥で、これだけの労力をかけられるのは蘇我氏しかいないのでは」との説(猪熊兼勝・京都橘大名誉教授)を記している。
自分は今年の春にすぐ近くの石舞台古墳まで来たものの、時間の都合で次の機会としていた。
特別史跡・石舞台古墳 奈良県高市郡明日香村島庄 - 墳丘からの眺め
石室は格子扉があるものの開口していた。
格子の間から。暗がりの中に石棺があった。
フラッシュで。家形石棺の蓋が少しずらして置かれていた。
ズームしてフラッシュで。内部を拝見できるとは予想していなかったので嬉しかった。
墳丘にも上がらせていただいた。墳頂から北西側の眺め。中央右の二階家奥の木立の先に石舞台古墳がある(はず)
墳頂から東方向。
南方向。段々畑の中腹にいることがわかる。
西方向。
北方向(実際の方角は、少しずれていると思います)
写真だ明るいが、実際は薄暗かった。
ガソリンスタンドを探すのに迷ったが、橿原神宮前で借りたレンタカーの返却時間18時に間に合った。以上で初日の終了。
あとから”2人乗り超小型車”のレンタルもあったことを知った。
MICHIMO | 奈良県・飛鳥地方の2人乗り「超小型モビリティ」レンタルサービス
値段的には借りた軽の方が安かったがこちらの方が(天気が良ければ)楽しそう。