墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「発掘された日本列島2015」展 続編 @江戸東京博物館

4回前のエントリ、「発掘された日本列島  2015」のつづき。

 

全体構成は、時代ごとのバランスが考えられている。

旧石器時代:史跡福井洞窟

縄文時代:小竹貝塚、けや木うの平団地遺跡、北小松遺跡

弥生時代:東奈良遺跡、高三猪遺跡、松東遺跡

古墳時代:中沢遺跡、上相遺跡・鍛冶屋逧古墳群、甲塚古墳

古代:瓦塚窯跡、大宰府関連遺跡群、上谷遺跡、史跡大鳥井山遺跡

中世:瑞巌寺境内遺跡、越前窯跡群、史跡小牧山、大雲院跡

近代:シャトーカミヤ旧醸造場施設

上記のほかに、東日本大震災の復興事業に伴う発掘調査成果や全国史跡整備市町村協議会50周年の展示があった。

 

埴輪以外にも興味深い展示が多数あったので、下記にその「一部」を抜粋。

 

・宇宙人的な人体模様がある縄文土器。

人体文付深鉢 縄文時代後期前葉 岩手県けやきの平団地遺跡出土 高さ45cm、口径26.3cm、人の形の高さ17.9cm。

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右手が、丸い環のようになっている。

 

以下は解説板より。

岩手県中部に位置し、市の名称になっている河川、滝沢に面した標高200mの台地上に立地します。この遺跡の発掘調査では、粘土で人の形を表現した、あまり例のない縄文土器が見つかりました。

発掘場所の写真パネル

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古墳時代の陶製の棺 残存長107.2cm、高さ94cm奥行65.4cm 復元後の推定全長210cm。

岡山県美作市の上相遺跡・鍛冶屋逧(かじやさこ)古墳 B1号墳 直径10mの円墳・横穴式石室長6m 7世紀前半

被葬者は鉄生産に関わる有力者と推定されるそうだ。

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半分しか残存していないが王蟲のような存在感では(ちょっと無理やり、くもじいっぽいか・・・ )

以下は図録より

棺の下から出土した須恵器などの副葬品から、飛鳥時代のものと考えられる。ひも状の粘土と積み上げて形状を整えた後、こぶ状の突起などの装飾を施し、蓋と身を切り離して作られた。脚部に採用されている楕円筒状や蓋の斜格子文は、この地域特有の文様。

 

陶棺が発掘された石室の様子。

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・400棟もの大集落があった千葉県八千代市の古代集落

上谷(かみや)遺跡 8世紀後半~9世紀後半

印旛沼にほど近い標高23~26mの台地上に位置しています。総面積114,300㎡にも及ぶ発掘調によって、古代の集落遺跡の全貌が明らかになりました。見つかった建物は、竪穴建物203棟、掘立柱建物194棟で、この地域では最大規模の集落遺跡です。

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土器に墨で文字が書かれた墨書土器の展示。

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下記の土器(写真を90度回転)には人の顔が線刻されていた。笑顔?

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常陸国分寺の瓦を焼いた瓦塚窯跡。

先日訪ねた恋瀬川の上流の山の斜面に、一大瓦工房が存在した。窯跡は南北130m・東西80mの範囲に全国でも最多級の34基見つかった。窯の大半は斜面をトンネル状にくり抜いた窖窯(あながま)

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以下はパネルより。

恋瀬川の最上流、標高134mの通称牧場山の南東斜面に位置し、常陸国分寺の瓦を生産していたことで知られています。発掘調査では奈良・平安の瓦窯34基が見つかりました。全国的にも他に例を見ない密度で窯跡が分布しています。

 

出土遺物も極めて多彩で、役所の跡から出土するような遺物も目立ちます。また1000点を超える墨書・朱書・刻書土器は「丈部(はせつかべ)」という人名を書いたものが多数を占めます。「続日本紀」に見える印旛郡大領(郡役所の長官)「丈部直牛養(はせつかべのあたいうしかい)」との関係が注目されます。

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茨城県牛久市のシャトーカミヤ(重文)のレンガとワイン

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シャトーカミヤは、浅草の神谷バーの創設者(開業時24歳)でもある神谷伝兵衛(かみや でんべえ:1856~1922年)が1903年(明治36年)に建設したワイン醸造所。重文指定前に訪れたことがある。

東日本大震災の災害復旧工事に伴う発掘調査で新たな遺構が見つかった。

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旧醗酵室の解体中に見つかった約130年前(明治14年発売)の蜂印香竄葡萄酒。ラベルが英語表記のみであることから、海外輸出用、または博覧会や品評会出展用に瓶詰めされたワインの可能性があるそうだ。中身があるようにも見えるが・・・

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各地で焼かれたレンガが使われていたことがわかる。SYOWAYOGYO(北海道)、YTR(横浜)、MITSUISHI(岡山)、AJIYA、SHINAGAWA(東京)などの銘が刻まれている。

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品川・煉瓦で検索したらこちらの会社がヒットした。

当社の歩み|品川リフラクトリーズ(旧品川白煉瓦株式会社・1875年創業)

こちらには工場の絵も企業理念|品川リフラクトリーズ

 

下記の資料(非常に興味深い資料)の8頁の地図に品川白煉瓦工場の位置がプロットされていた。目黒川左岸の山手線沿い、ちょうど居木橋たもとの勝亦電機製作所があるあたりのようだ。

http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/ct/other000036600/02dai2syou1-ayumi.pdf

 

発掘された鉄滓(てっさい:製鉄の過程でできる不純物・かなくそ、のろ、スラグとも)に直接触れるコーナー。磁石もあった。

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国史跡整備市町村協議会(全史協)のパネル展示コーナー。左から10年ずつ、時が経つにつれて指定史跡件数が増えている、という展示。

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 ウェブページを探したら東北地区のみ見つけられた。

 

 

展示は屋外(3階)にも。ここは有料エリア外。

かつて新橋停車場があった汐留遺跡の発掘資料。

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新橋停車場の敷地にあった溶鉱炉の一部(日本で最初に作られた西洋式溶鉱炉)

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 以下はパネルより。

長方形のレンガ造り鋳物場の一画に、鋳物を製造する溶鉱炉が設置された。新橋駅構内には鉄道施設を維持・管理するための技術を、日本人に指導する外国人技師が居住していた。

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上側も下側も使える双頭レール。

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高層ビル群が建つ前の写真。下の地図はさらに前、会津藩、仙台藩、龍野藩播磨国龍野)があったときの地図。

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仙台藩の敷地からは、船着場の石組みも出土している。

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こちらは常設展示。東京市電(都電)4000形電車の台車「D-11」

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解説板もあった。

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以下はパネルを転記。

関東大震災後の1925年に登場した東京市4000形電車は、従来よりスリムな車体に、混雑緩和のために3つの扉が設けられた、特徴的な外観を持つ車両である。

この電車に採用された低床式の台車(D-11)は、数々の新設計を組み込んだ意欲作であった。品川~上野駅前間の1系統を中心に活躍したこの車両は、若干の改良が加えられた後継の4100形、4200形と合わせて計180台が製造された。

その後、空襲によって多くの車両が失われたが、残った車両は戦後木造の車体を鋼鉄のものに変更し、新4000形として活躍した。展示品は、廃車となった後に、東京都交通局の研修所に教材として残されていたものである。

よくがんばった。40年くらい働いたのだろうか。