9月26・27日、那覇での仕事の合間に史跡などを訪ねる機会があった。
那覇空港のモノレール(ゆいレール)の駅から。ポイントがくねくねと動いていた。
沖縄県立博物館・美術館 ゆいレール「おもろまち」駅から徒歩10分。
南側の正面入口。
設計は、石本建築事務所・二基建築設計室共同体(下記サイトより)
建築デザイン - 沖縄県立博物館・美術館 - KENCHIKU
要塞のようだと思っていたら、白い石壁の傾斜角度は、沖縄の城(グスク)の石垣に倣ったものだそうだ。
堂々とした存在感があり、美しい。
歩道の並木と赤い花。
北側の壁。こちらにも入場口がある。
傾斜のついた石壁には四角い穴が整然と空いているため、内側も明るく、風も通って気持ちが良い。
壁の外側にあった復元された高倉。
建物の内部には大きな吹き抜けがあり、透明な朝顔のような柱が天井を支える。
吹き抜けの左が県立博物館、右が県立美術館になっている。
吹き抜けの2階部分から。2階にはミュージアム・カフェもあった。
博物館は常設展が大人410円。この日は2階で企画展「久米村(クニンダ~琉球と中国の架け橋」も開催されていた。
内部は結構広く、「総合展示室(この部屋は撮影不可)」「民俗部門展示室」「美術工芸部門展示室」「考古部門展示室」「歴史部門展示室」「自然史部門展示室」などがある。
自然史部門の「港川人(みなとがわじん)」
沖縄本島南部の港川で発掘された旧石器時代の人骨から復元した模型。
今から1万7000~8000年前と推定されている。縄文より古い、旧石器時代の人骨は、非常に珍しい。
正面からは写しにくいのでわかりづらいですが。
下記に説明パネルの一部を転載。
「2011年に発表された研究で、港川人の下顎骨は縄文人のものと大きく異なることがわかりました。すると、港川人は縄文人の直接の祖先ではなかったかも知れません。その一方で、オーストラリア先住民やパプア・ニューギニアの人々などは、港川人と下顎骨がやや似ているようです。そこで、この復元模型では、鼻や目元あたりやカールした髪の毛など、オーストラリア先住民の要素を入れて復元しました」
骨が発見された海岸に近い崖、石灰岩採石場(港川フィッシャー)の模型。
「ガンガラーの谷」という興味深い場所の南1kmにある。
発掘された人骨は4体分。展示の骨はレプリカ。
考古部門展示室の入口の展示パネル
上記の一番右の展示。
縄文土器 縄文時代後期 大山貝塚(宜野湾市)出土
高さは20cmくらいか。
真ん中の展示
貝匙(かいさじ) 弥生~平安並行時代 具志原貝塚(伊江村)出土
左の展示
銃身 1945年頃 新城下原(あらぐすくしちゃばる)第二遺跡 北谷(ちゃたん)町出土
つまり、縄文土器と戦争遺跡発掘資料とが考古資料として並んでいる。
民俗部門では、三線(さんしん)の展示も。
微妙な型の違いがあるようだが、「音の出る美術品」だとあらためて思った。
つづく。