墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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芹澤ガーデンギャラリー 須和田遺跡 千葉県市川市

前回のつづき。

国分寺・国分尼寺の次は、須和田遺跡を初探訪。その前に、遺跡入口手前にある芳澤(よしざわ)ガーデンギャラリーへ立ち寄った。ここは数台停められる駐車場があるが「車での来館はご遠慮ください」とあった。

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平成14年に市川市の市制執行70周年記念事業としてオープンした3つの文化施設の1つ。他の2つは、木内ギャラリーと郭沫若記念館。

 写真奥が入口。左が展示室だが、右側の大きな窓から緑の庭が眺められる。

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展示は「市川市収蔵作品展 ー工芸と書に親しむー」だった。

戸島甲喜という方の木象嵌の作品(板絵)に強く惹かれた。

 http://nakata.net/rnp/area/254/

 

窓から庭を眺めると緑が濃い。

全体では広さ3400㎡つまり千坪以上、サッカー場4つ分弱の土地に、手入れの行き届いた庭がある。HPには「芳澤月恵氏から寄贈されたもの」とあった。どのような方か気になったが検索ではわからなかった。

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・須和田遺跡

 「いちかわ時の記憶」によれば、昭和42年から3年かけた発掘調査で、古墳時代から古代にかけての100軒に及ぶ竪穴建物が明らかになっている。太鼓塚と呼ばれていた古墳もあったそうだ。

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公園へのスロープの横に、小さな黄色い花が一面に咲いていた。

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公園中心部に、「須和田遺跡」の石碑と説明板、柵に囲まれた遺構があった。

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石碑とともに詳しい説明板もあった。

「史跡 須和田遺跡 

昭和30年1月8日 市川市指定 平成6年2月22日 一部千葉県指定

須和田遺跡は、真間の台地から約700mほど東にのびる須和田台地のほぼ中央部を占めています。

この遺跡の発掘調査は、杉原荘介氏によって昭和8年から10年まで続けられ、18年には忠霊殿の建設による太鼓塚の削平と付近の調査、26年に明治大学による市立第2中学校校庭の発掘調査、28年には早稲田大学の滝口宏氏による忠霊殿南側の発掘調査が行われました。

その結果、弥生時代中期から平安時代初期(西暦前100年~西暦9世紀頃)に至る集落であることがわかりました。

杉原氏は発掘した土器のうち、弥生式土器に「須和田式土器」、土師器に「真間式土器」の名称を付け、土器による時代区分の上で重要な位置づけをしました。

その後、昭和42年から44年にわたる明治大学の調査、昭和45年の市立養護学校の増設工事にともなう調査などから弥生時代の集落地域が確定され、また古墳時代からは住居も増大し、集落の範囲が大きくなっていたことが分かりました。

特に奈良・平安時代には西に下総の国府を、北に国分寺を配置した重要な位置に、このような大集落が存在したことは、当時の政治、文化を考えるうえで重要な位置にある遺跡であるといえます。

この家屋は、須和田遺跡から検出された弥生時代後期初頭(西暦100年頃)の住居を復元したものです。

まだカンナやノコギリなどの道具が使われず、チョウナで柱や板をけずり、また釘の使用も知らなかったので、植物のつるとか縄で結びつけていました。

この復元家屋は昭和44年、東京国立文化財研究所所長 関野克博士の設計で、当時の手法をまねてつくったものです。

平成8年3月28日 千葉県教育委員会 市川市教育委員会」

調査され尽くした場所、という印象。

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かつては竪穴住居が復元されていた「穴」 地上部素材は朽ち易い。復元物やレプリカの保存作業もますます重要になるのだろう。

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公園の端からはとなりのグランドがよく見える。

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公園の一角にはバラ園もあり、小規模ながらも見事に咲いていた。

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郭沫若が詠んだ詩のレリーフ。

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郭沫若の略歴と、石碑の詩の翻訳の説明板もあった。

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いくつも枝分かれした樅(?)の巨木が見ごたえあった。

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入口に戻り、公園西側の坂を上る。須和田遺跡のある場所は真間山から東に連続した台地だったが、今はその間が削られて、住宅(芹澤ガーデンギャラリーのあたり)や、この小道になっている。

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小道はすぐ下り坂になり、坂の途中に「郭沫若記念館」があった。

つづく。