墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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流山市立博物館 千葉県北西部地区文化財巡回展「文化の絆 ~モノとヒトとの出会い~」

5/10の土曜日、流山市立博物館で「弥生土器を熱く語ろう」という講演会に参加した。現在開催中の、千葉県北西部地区文化財巡回展「文化の絆 ~モノとヒトとの出会い~」にも魅かれたので。(当企画展は5/18まで)

 

講演会は、流山市加村台遺跡、市川市国府台遺跡、八千代市栗谷遺跡、柏市呼塚遺跡について、各市の教育委員会の担当者が説明し、最後に展示室で現物を見ながら質疑応答するというもの。10時~16時で、最後までいたかったが、午後は子供が一人になってしまうので、午前の部(前者2つの遺跡について)のみ参加した。

 

下記は流山市の案内サイト。

http://www.city.nagareyama.chiba.jp/397/20805/020678.html

 

博物館は流山電鉄の流山駅から徒歩5分。武蔵野線の新松戸駅と、流鉄(りゅうてつ)の幸谷(こうや)駅とが150mくらいの距離で接続している。スイカは使えない。f:id:massneko:20140510091037j:plain

幸谷駅ホームからは常磐線も見える。

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単線でゴトゴト揺られて4駅目で終点の流山。

ちょうどこの日に、このあたりでロケした映画「百瀬、こっちを向いて。」が公開とのことで、前の2席が派手なことになっていた。

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流山駅には、色の違う4編成が。

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活動していたのは、この赤と、途中ですれちがったオレンジだった。

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駅には流鉄応援の壁新聞が掲出されていた。大事にされている。

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小さな駅舎。

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北に向かって歩き出すと、こんな道路標識があった。

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すぐに博物館(&図書館)の裏口に到着。台地の先端にある。

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左に下りると正面入り口。

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企画展も常設展も盛り沢山。紹介し切れないので企画展から「ガラパゴス古墳」の1点を。 我孫子の根戸船戸古墳は、昨年11月に訪れたところ。

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現地の説明板では「前方後円墳の変形」とあったが、この展示では「ダルマ型墳」となっている。そのような形を採用した理由をに「ガラパゴス化」として説明されていた。下記は上記写真から転載。

 

① 畿内での前方後円墳づくりの終焉とともに、古墳づくりの規範がなくなり、古墳の形にそれほどこだわらなくなった。

② 横穴式石室前での祭祀が重要視された結果、古墳の正面が「横位置」になり、横から古墳らしく見えればそれで良い、と判断された。

いずれも閉ざされた小集団内で「古墳づくりはそれで構わない」という認識が共有されたからこそ生まれた古墳であり、独自の進化を遂げて他との共通性がなくなる「ガラパゴス化」が、古墳においても起きていた可能性を指摘したいと思います。

 

実測図の展示。

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上の写真は6号墳。下が2号墳での作業風景。

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上は3号墳石室、下が2号墳の周溝出土遺物の写真。

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2号墳、6号墳から出土した須恵器。

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4号墳、5号墳からの直刀。

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昨年現地に行ったときの様子

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/11/12/164220

2号墳しかわからなかったが、公園内の小さな盛り上がりだった。

 

 

常設展から1点。東深井古墳群(6世紀)から出土した埴輪たち。

 

こちらの古墳群は、2ヶ月前に探訪したが、こんなに埴輪が充実していたとは。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/03/22/211154

 

地形模型もあった。前方後円墳が先端にあることがわかる。

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 円筒と一体になった鳥型埴輪。

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 武人の頭部。耳の上の飾りが面白い。

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腕を広げた武人。

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刀に手をかけたような姿の武人。

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髪を結いあげた女子。

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こちらも武人。

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駅路想定図もあった。流山は「茜津」のすぐ近くになっている。

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つづく