墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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満願寺、八幡山古墳、さきたま古墳群(再訪)

雨の日曜日、知り合いが住職を営んでいる北鴻巣の満願寺を会社の先輩とともに訪ねる。枝垂れ桜はあと一歩。

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わざわざ正装していただき、読経までしていただいた。朗々とした声明で清清しい気持ちになった。感謝。ご本尊は不動明王。

住職は40代目になるそうだ。満願寺は清和源氏と深い縁がある。

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本堂の窓越しに隣家の敷地内の古墳が見えた。未調査の名前のない古墳。

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その後、八幡山古墳と、さきたま古墳群へ向かった。

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・八幡山古墳(再訪)円墳 直径80m(推定) 7世紀前半 石室16.7m

昭和9年、2km東の小針沼埋め立てのために土を崩したら巨大な石室が現れたそうだ。

雨に濡れて石の色が濃い。土日祝日だけ管理の方がいて、石室の鍵が開く。この日の訪問者は自分たちだけだった。

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「関東の石舞台」とも呼ばれる石室は、やはり素晴らしい。広い。石室天井が高い。

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石室上からの眺め。この方向にさきたま古墳群がある。

周囲は民家もあるが、工場に囲まれている。

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 ・さきたま古墳群へ

まず、さきたま史跡の博物館へ。金錯銘鉄剣などの国宝の数々を見る。

壁のパネルがわかりやすかった。左の黄色列が畿内の古墳、右のオレンジ列が群馬の古墳、間の7列が武蔵国の古墳で、右から2列目の赤いのがさきたまの古墳。

当地域は6世紀が興隆の時代だったことがわかる(千葉も入れて欲しかった・・)

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まず金錯銘鉄剣が出た稲荷山古墳へ。

・稲荷山古墳 前方後円墳 全長120m 5世紀後半

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前方部は1937年の土取り工事で失われたが、2004年に修復された。

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稲荷山古墳前方部から見た丸墓山古墳。

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桜はほぼ満開。

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・丸墓山古墳 円墳 直径105m 高さ18.9m 6世紀前半

埋葬施設は発掘されていない。ともかく巨大。

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墳丘に上がったとたん、激しい雨風になった。桜の大木の陰に避難する。

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桜の枝が揺れる。傘が役に立たない。

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風雨で霞んだが、遠くに忍城(再建)の屋根が見える。中心より左、アンテナ塔の右。

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堪らず降り始める。

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降りた途端に晴れ始める。

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あっという間に風も止んだ。読経のおかげでしょうか。

 

・将軍塚古墳 前方後円墳 全長90m 6世紀後半

墳丘の菜の花が夕日に輝いていた。

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古墳の中が展示室になっている。石室には前日に行った富津市の房州石が使われている。川を通じて両者に交流があった証拠。

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一瞬の激しい風雨もあったが、稲荷山古墳、桜の丸墓山古墳を、ほとんど人のいない貸しきり状態で堪能させていただいた。

続く。