墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

白石稲荷山古墳 群馬県藤岡市白石

前回のつづき。

藤岡歴史館見学後、南側に立地する白石稲荷山古墳の花咲く墳頂を目指して歩く。傾斜道を一旦降りて再び上がるところ。

 

坂を上がった先は少し地面が膨らんでいる。

墳頂の説明板に白石稲荷山古墳の陪塚(ばいちょう)として言及され、藤岡歴史館の古墳群復元図に位置が記されていたが、この場所にもかつて2基の古墳があった。

十二天塚古墳と十二天塚北古墳で藤岡歴史館に以下の解説があった。

十二天塚古墳は長軸36.8m、短軸26.8m、高さ2.6mの長方形を呈し、墳丘に葺石と埴輪列が巡っています。十二天塚北古墳は、長軸23m、短軸22m、高さ2.2mの方墳で、墳丘中央やや東よりに竪穴式の礫槨が確認されています。礫槨は、長さ3.02m、幅1.5mの大きさで、底面に砂利を敷き、其の上に細長い河原石を石枕のように設置していました。埋葬施設の外側から滑石製の紡錘車・勾玉・管玉・白玉などが出土しています。

昇寛さんのサイトでも紹介されている。

藤岡市十二天塚古墳、十二天塚北古墳 » 埼群古墳館

 

白石稲荷山古墳へは後円部の先端から近づいて行った。

 

端から見上げる後円部。

 

桜の下の道を上る。

 

桜の下にはスミレの群落もあった。

 

墳頂の様子。

 

記念碑のすぐ後ろの桜はすっかり散っていた。

 

墳頂の説明板。

国指定史跡 白石稲荷山古墳
所在地:藤岡市白石1365ほか
所有者:飯玉神社ほか
鮎川左岸の上位段丘面東端に占地する前方後円墳である。大きさは全長175m、後円部径92m、くびれ部幅50m、前方部幅約148m、後円部高13.5m、前方部高6mである。昭和8年の調査で、墳頂部から東槨(全長8.2m、幅90cm)、西槨(全長5.3m、幅40cm)の二つの竪穴式礫槨が確認されている。出土遺物は鏡、直刀、装飾品類、石製模造品~石枕・刀子・案・杵・坩・箕・釧・勾玉・屐(げた)などの他、家、短甲などの埴輪がある。
本墳は十二天古墳や十二天塚北古墳を陪塚とし、5世紀前半に造られた東日本を代表する古墳の一つで、豊富な副葬品から当時の生活文化を考える上で極めて重要である。
藤岡市教育委員会

 

藤岡歴史館の解説では、墳丘は三段に造られ、上段と中段の斜面には葺石が巡り、各段の平坦面には埴輪列が巡っているともあった。

 

後円部から北側。

 

前方部は平坦で、形状は把握しにくかった。

 

前方部の端と思われる場所から。 

 

そこから振り返ると秩父方面の山並みが見える。

 

グーグルアースでは、前方部の左裾はこの小道にかかっているようにも見えた。

 

ゆったりした波のような墳丘。

 

側面をパノラマで。 

 

墳頂の桜をズーム。 

 

その下では花吹雪が舞っていた。

つづく。