墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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夫婦塚古墳 鹿島神宮 (茨城県鹿嶋市)

前回からの続き。

大生西古墳群から南下して北浦を橋で渡り、 北浦と太平洋の間の台地上の古墳を目指す。鹿島神宮に近く、鹿嶋浄水場の隣にある。

途中、北浦の向こう遠くに筑波山の双耳峰が見えた。

台地の上に出ると立派な看板があった。大事にされている。

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トイレのある広い駐車場があり、新しい説明板も立っている。

 

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・宮中野古墳群 夫婦塚古墳 前方後円墳 107.5m 6世紀中葉~後葉

周掘があり、それを含めると全長150mあった可能性があるとのこと。

また、「夫婦塚古墳の墳丘で最も特徴的なのは、後円部及び前方部の墳頂に平坦面がなく、後円部の断面形が円錐形で前方部が馬の背状の形状をしていることです。後円部が円錐形の古墳としては、北浦を挟んで対岸の台地上にある大生古墳群の鹿見塚古墳などが挙げられますが、こうした形状が古墳築造時のものであったかは、今後検討を加える必要があります。」との興味深い記述がある。

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周掘を降りていく。

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前方部から後円部。大きい!

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後円部から前方部。

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後円部頂上に大きな木が聳える。

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東側の眺め。木々の向こうが浄水場でその先が北浦だが、ちょっと見えない。

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陪塚も残っていた。

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・きれいに整備されていてファミリー向け(?)の気持ちのよい古墳。鹿島神宮参拝の折にはぜひお勧め。

 

・鹿島神宮

常陸国の一宮。古代霞ヶ浦、「香取の海」の入り口を対岸の香取神宮とともに見守ってきた。常陸国府に向かう駅路網とは少しずれていたようだが。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/05/13/091507

境内は広く70ヘクタール。TDLより広い。

ちなみにTDL51ha、TDS49haで合わせて100ha=1km2、皇居142ha(1.42 km2、山手線内側6300ha(63 km2)となる。

 

さらにちなみに鹿嶋市(1995年に鹿島町が大野村を編入して市に)の表記は、佐賀県鹿島市(1954年に4町村合併で市に)との区別のため「嶋」の字を使用しているそうだ。鹿島アントラーズ、鹿島コンビナート、鹿島臨海鉄道は、神宮と同じ「島」。

yahoo知恵袋に興味深い話があった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418652039

 

境内案内図は、深い森の中に鎮座していることをよく表している。

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堂々とした楼門。

 以下Wikipediaから。

祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)表記は異なるが大生神社と同じ。

鹿島神宮は香取神宮と古来深い関係にあり「鹿島・香取」と並び称される。両神宮とも古くより朝廷からの崇敬の深い神社で、その神威の背景には、両宮が軍神として信仰されたことにある。古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に香取海という内海が広がっており、両宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両宮はその拠点とされ、両宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。鹿島神宮の社殿が北を向くことも、蝦夷を意識しての配置といわれる。

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今年は12年に一度の「式年大祭御船祭」というのがあるそうだ。

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荘厳な本殿。念入りにお参りする。本殿も奥宮も要石も、進行方向に対して右側にあって正面ではない。「北向き」というWikiの解説だが、要石の鳥居は「東向き」。

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奥宮に続く参道。途中に鹿園がある。

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並木の根が力強い。

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奥宮にお参りする。16時ぎりぎり、門扉が閉じる前に間に合った。

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奥宮を左折して200mくらいで要石に。

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ここに祀られている石で自身を押さえているそうだ。水戸黄門が7日7晩かかっても掘りきれなかったとある。

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直径20cmくらいしか露出していないところが、想像をかきたてる。

どうかしっかり押さえていて下さいとお願いする。

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このあと、道の駅いたこに立ち寄る。

ちょうど日が沈むところだった。円墳のような展望台があるので行ってみる。

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隣接地はメガソーラーで埋め尽くされ輝いていた(これを見る展望台だった)

潮来市が共同出資、先月稼動したらしい。発電量は年1470万KW(4000世帯分)とのこと。

http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=8623

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地元の食材を沢山買って、夕食は鍋とした。