墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鷺沼古墳群 (千葉県習志野市)

日曜日の午後、海神で「古墳時代の武人について」の講演を聴講。

その後、そのまま京成線で5駅目、京成津田沼まで行って、鷺沼古墳へ。

 

以下習志野市のWEBサイトより

(鷺沼城址公園は)下総台地の最南端八剣台の台地西南端に位置しており、当時は西側崖直下に菊田川が流れ、南方400メートル程で海岸線に至っていました。当時この地に立てば、相当広範囲に周囲を見渡すことができた要衝の地であったと思われます。とのこと。

http://www.city.narashino.lg.jp/konnamachi/walk/sansaku/h10/sansaku031.html

 

駅前から300mくらい東に歩くと「市役所前」交差点。そこから「菊田遊歩道」という歩きやすい道にはいる。

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しばらく歩くと、左手に公園案内看板と階段があった。

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標高18mの崖線を登る。

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斜面の土が流出しているところがあって、痛々しい。

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階段を上ると、気持ちのよい公園。武人と馬の埴輪像がある。

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 石室を保護する建物があり、格子を通して見学ができる。

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 ・鷺沼古墳 A号墳、B号墳 前方後円墳 全長20~25m A号墳は6世紀後半、B号墳は6世紀末

石棺を見学できるのはB号墳。

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長さ2m、幅0.8m、深さ0.7mの箱式石棺。房州石のようだ。独特の穴がある。

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・A号墳 墳丘が残っている。木杭で範囲を示している?

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戦国時代にこの地に城を構えたとされる鷺沼太郎源太光義の大きな石碑

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その石碑の後ろに、前方後円墳(A号墳)がある。高さ1mくらいか。

前方部にある鳥居。

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後円部上から。木々の向こうは公園内の散歩道(周回路)

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後円部から鳥居の方向。

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周回路から後円部。

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周回路の外、崖ふちの柵の向こう、枝葉越しに、習志野市街が眺められる。

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公園と接するお宅の見事な梅が咲き始めていた。

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公園内の遊具のあるところが、円墳と周堤のように盛り上げてある。

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さきほどの上り口と反対側が正面入り口のようだ。ここには枝垂桜があった。

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その後、JR津田沼駅まで歩いてみた。京成線(新京成)では一駅先の「新津田沼」でJRと連絡する。(といっても大きな逆S字なので直線距離は短い)

まず京成津田沼駅横の長い踏切を越える。

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踏み切りを越えたところに、趣のあるお米屋さんがあった。

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新京成がJRと交差する。道路の車線も少し複雑になっていた。

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JR津田沼駅北口はパルコもあって大賑わいだった。津田沼、習志野、鷺沼と異なる呼び方が、そのまま歴史を表しているようだった。