墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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本杢古墳 埼玉県さいたま市桜区中島

前回の神明寺古墳から本杢(ほんもく)古墳までは徒歩45分と出たので、「塚本」の停留所からバスを利用した。

グーグルマップで経路をみるとバスの時間まで出るので、駅から離れた場所に初めて行く際には心強い味方になる。

 

浦和駅行きの乗って南元宿で下車し10分ほど北へ歩く。途中に整備中の幅広道路が。

 

新大宮バイパスと越谷浦和バイパスをつなぐ幹線道路になるようだ。

 

その先で右折し、中島小の前の上りのカーブで古墳の木立が見えてきた。

 

上から行くか、下から行くかの分かれ道。

 

そんな時は上から。柵の向こうに土盛りが。

 

道際に迫る。 

 

切株のそばで崩れつつある箇所も。

 

北東側の角から。墳丘は、北と東を道路で削られていた。

 

こちらの説明板は判読が難しい状態。

 

角から東は下り道。

 

角を背にすると分譲地。

 

敷地の南西側の階段を上がって墳丘のそばへ。

 

読みやすい説明板があった。一辺20m以上の方墳とのこと。

浦和市指定史跡
本杢(ほんもく)古墳
昭和46年2月12日指定
本杢古墳があるこの場所は、大宮台地と呼ばれる洪積台地の西端にあたり、荒川の低地を望む台地の縁辺部になります。
古墳の現状は、東側と北側とが道路などによって削られていますが、全体としてはよく墳丘を残しています。平成4年に実施された墳形を確認するための発掘調査では、古墳の周囲に幅約1.5m、深さ約1mの堀が四角くめぐらされていることが確認されています(墳丘を保護するために設置された柵は、ほぼこの堀の外周部に沿っています) これにより、本杢古墳は一辺が20m以上、高さ約4.5mの規模をもつ、古墳時代後期の方墳であることがわかりました。
この付近では、すぐ近くの与野市今宮2号遺跡から同時代の方墳が発見されています。また、本杢古墳の南側、台地の先端部付近からは、6世紀初頭の円筒埴輪が出土しています。かつてはこの付近に多くの古墳が存在していたようで、一つの古墳群としてとらえられるものと考えられます。
平成13年3月 浦和市・浦和市教育委員会 

実測図のアップ。

 

さいたま市のサイトにも、同内容の解説がある。

https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/003/p000506.html

 

説明板から先へは近寄れないが、高さ4.5mの迫力を感じることはできた。

 

墳丘を囲む柵は発掘調査で確認された、四角く巡る堀(幅約1.5m・深さ約1m)の外周に沿っている。

 

敷地の端から西側の眺め。 

 

振り返っての墳丘。木立が無ければ、墳頂からは西側180度を見渡す眺めが得られるだろう。

 

崖下への連絡路も。 比高差は10mほど。地理院地図を見ると墳頂に三角点があるようだ。

 

階段下から。中島本杢緑地として、ボランティアの方々により保全されていた。