今回の墳行で最後に訪ねた古墳は、雲彩寺にある飯沼天神塚古墳。
国道153号の「高屋」の交差点で降りると、道路に雲彩禅寺の石碑が立っていた。
進んでいくと、ここも見事な桜。
門前の説明板。石室見学はお寺の方に声を掛ける必要がある。
国指定史跡 飯田古墳群
飯沼天神塚(雲彩寺)古墳
平成28年(2016)10月3日指定
古墳形態:前方後円墳
墳丘長:74.5m
埋葬施設:横穴式石室
推定年代:6世紀前半
前方部に天神社がまつられていたことから天神塚古墳とも、雲彩寺境内にあることから雲彩寺古墳とも呼ばれています。後円部を北西に向けた前方後円墳です。古墳の東側は変形していますが、西側から見ると形や大きさがよくわかります。
後円部の中央に横穴式石室があります。西側の入口はふさがれていますが、東側の奥壁が壊されており、石室内に入ることができます。現存する石室の全長は約13mで、河原石を用いた細長い羨道が特徴です。
出土品については、寛政10年(1798)に市岡智寛が書いた「雲彩寺所蔵古物之図」に馬具・銅鏡・装身具などが描かれています。現在は、馬鈴二個と金環一個が残されており、本古墳を知る上での貴重な資料となっています。
平成29年(2017)3月 飯田市教育委員会
18世紀前半に建てられた山門は元は飯田城の桜丸にあった西門で、廃藩後に雲彩寺の檀徒が買い取って寄進した。
中へ入るとこちらにも満開のシダレザクラ。
桜の先に前方部への石段があるが石室はここから右、社殿の裏手になる。
後円部の東側に開口部。
大きく傾いた壁と天井石に一瞬ひるむ。
その先に狭いトンネルが。
冊子「飯田は古墳の博物館」によれば、全長74.5mの当古墳は伊那谷最大(といっても僅差で続くが)
寛政5年(1793)に寺地の拡張をした際に横穴式石室を壊したことが「雲彩寺略記」に記されているそう。この開口部は奥壁側に開いた穴であり、壁の左右で石の大きさが異なるのはこのとき積み直されたからのようだ。
暖炉のような羨道入口は高さ80cmほど。
横幅も60~80cm程度で四つん這いにならないと進めなかった。
奥行は8mほどもあり、最初のフラッシュは奥まで届かず。
フラッシュ時以外は暗闇を進む。
やっとたどり着いた羨道入口。閉塞石を観察できる貴重な場所。
四つん這いで後ずさりしながら後ろ手に写真を撮る。
光が近づくと安心する。
フラッシュで。”暖炉の口”の中から。
玄室に出て一息。
傾いた壁と天井で、まだ緊張しているが。
貴重な体験をさせていただきました。誠にありがとうございました。
墳頂にも上がらせていただいた。
墳丘に上がって後円部方向を。右側が急こう配で社殿側から削られているのがわかるが、そこに開口部がある。
後円部墳頂から北側。中央奥をズームすると…
飯沼諏訪神社の石段桜。
後円部から前方部方向。
くびれ部から上る前方部。
前方部斜面には巨大なカエデが聳える。
前方部上から後円部を。
前方部左裾に回って。左奥が後円部。
そこから西を見ると、丘の上の化石1号墳がよく見えた。
回り込む道を登っていくと墳丘のそばに。
登り口は見つけられたなったが、墳頂の石碑はちらりと。
右の木立が化石1号墳。結構高さのある円墳のようで、前出の冊子にも地図に主要古墳とマークされているが詳細はわからなかった。
化石1号墳の前からは飯沼天神塚古墳の墳丘がよく観察できた。左が後円部で右が前方部。秋のカエデも見てみたい。
飯田市上郷考古博物館のサイトの写真では、後円部は木立で覆われている。
https://www.iida-museum.org/kouko/lib/new_page_50.htm
このあと上郷考古博物館へ寄ったので、あと一話だけ続きます。