墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

兜塚古墳 静岡県磐田市見付

前回のつづき。兜塚古墳は京見塚古墳から750mほど、土器塚古墳から850mほどにある、スポーツ施設が集まる公園に残されていた。古墳の名が公園名の由来になっている。

 

駐車場の脇にあった古墳の説明板。

兜塚(かぶとづか)古墳
名前の由来
兜塚古墳は古くから兜塚の名前で知られており、古墳の形が兜を伏せた上体に似ているところから、この名前が付けられたといわれています。
調査
第二次大戦中の昭和19年に古墳の上に塹壕が掘られ、その時に鏡や玉類などが発見されました。昭和34年に墳丘の測量が行われ、昭和53・61・62年に周囲の環境整備に伴い周溝の調査を実施しました。
墳丘
古墳時代中期(5世紀頃)に造られた直径80m、高さ8mの大きさの円墳で、円墳では県内最大の大きさです。墳丘は2段に造られ、中段のテラスは幅広い平坦面になっています。裾部はかなり削平を受けていますが、南側については比較的旧状をとどめています。墳丘の表面に拳大の礫が多く散在し、埴輪片が見つかっていることから、葺石がはりめぐらされ、中段には埴輪が立て並べられていたと推定されます。
副葬品と主体部
墳頂部から出土したと伝えられるものに鏡、玉類、大刀があります。鏡は三神三獣鏡で表面には布跡と朱が付着していました。主体部は戦時中に掘られたため不明ですが、石や粘土が認められていないことから石室ではなかったと推定されます。
平成19年3月 磐田市教育委員会文化財

 

直径80mの大きな円墳だった。側面から見た墳丘図を見ると2段築成のテラスが広く取られていることがよくわかる。

 

1段目の縁。

 

そこを上がったテラス。

 

そこから見た中心部の2段目。

 

2段目をパノラマで。両側ともテラス部分。

 

墳頂の様子。最初は中学男子3人ほどがサッカーのパスの練習をしていた。

古代の蹴鞠か、という雰囲気もないではなかったが、パスをミスるとボールがどこまでも転がっていくので別の場所へ動いていった。

 

周囲は樹木に囲まれて眺望はなかった。

 

コンクリが埋まっているのは塹壕の跡か。

 

北西側へ降りる道。

 

少し降りて振り返った墳頂。

 

そのままテラスを時計回りに巡る。

 

北西側の裾にあった石組み。すわっと一瞬思ったが、古墳とは関係なさそうだった。

 

北側には出来たばかりの卓球場があった。

 

東側は庭園の趣き。

 

兜塚古墳を東側から。1段目縁と奥が2段目。

 

少し崩れていた部分。 

 

顔を出していたのは葺石でしょうか。

 

墳丘の東側についていた道。

 

再び墳頂へ上がって振り返ったところ。