墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

復興記念館 東京都墨田区横網

前回のつづき。

旧安田公園の北東角は道路を介して横網町公園と接している。

まず目に入るのが東京都慰霊堂の背面側の三重塔。

 

正面側から。

関東大震災の遭難者の遺骨を納める「震災記念堂」として昭和5年(1930)に竣工し、昭和26年に東京大空襲犠牲者も安置される「東京都慰霊堂」として改められた。設計は伊東忠太。

 

 その斜め前には昭和6年(1931)に「おそらく伊東忠太の示唆や指導のもとで萩原孝一が図面をつくったと推定される」東京都復興記念館の建物。3年前に訪ねた。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2015/05/08/190000

 

柱や軒下の意匠、スクラッチタイルの外壁が美しい。

 

入館無料。前に来た時は撮影不可だったが、今回尋ねたら「可」だった!

 

1階は修復工事中。厳かな階段を2階へ上がる。

 

四角い石柱が並ぶ2階のロビー。

 

3階は立入禁止。

 

2階は中央にジオラマ模型のある部屋があり、周囲の通路に震災と戦災の資料が展示されている。

 

部屋の中央にあるのは昭和4年(1929)の「東京市五千分の一模型」

 

製作は「島津製作所標本部」

 

表には「昭和六年九月現在」と記されているが、昭和4年に開催された「帝都復興展覧会」に東京市調査会が出品した。

 

オリジナルの「凡例」

一、模型の中で「・・・」区画した地域は大正12年の大震災の差異焼失した部分であります
一、御茶ノ水ー両国橋間の高架線は昭和6年9月にはまだ工事中ですが、便宜完成したものとして示してあります

 

皇居と赤坂御料地は金色の円盤が埋めこまれる。

 

皇居の周辺。右には東京駅や丸の内のビル群も。

 

国会議事堂、その左上は三宅坂上の陸軍参謀本部。

 

お台場のあたりには、複数の「台場」

 

全体にベタッと家が密集しているが、頭を赤く塗った鋲で囲んだ範囲は関東大震災の焼失地域、白く塗った鋲の範囲は非焼失地域になるそうだ。

 

構造物として目立つのは隅田川に架かる橋。東武鉄道の橋梁には電車も乗っている。

 

中央やや右は旧両国橋。

震災を耐えた三連トラス橋は1932年に架け変わったが、一部が「南高橋」に転用されて今でも使われている。

 

奥の永代橋(大正13年12月着工・大正15年12月竣工)とその手前の清洲橋(大正14年3月着工・昭和3年3月竣工)は震災復興事業として計画されている。

河口側に勝鬨橋が架かるのはもう少し先になる(昭和8年6月着工・昭和15年6月竣工)

 

現代のスカイツリーから見るとこんな感じ。永代橋と清洲橋の間に隅田川大橋(首都高深川線)が架かっている。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/01/04/190000

 

それらの橋を巡ったときの様子。

 

以前に森ビルで見た、現在の東京のジオラマも壮大でした、ほぼ90年前の東京の様子をリアルに表現した展示物も同じように素晴らしいと想います。単眼鏡があったほうがよいかも。

 

ほかにいくつもあった模型から。

小名木川筋大横川交差箇所模型(運河模型)1929年製

今はクローバー橋が架かっている、運河の交差点。 


こちらは隅田川両岸の隅田公園。

対岸に見える待乳山聖天とその右に枝分かれする山谷掘跡は一昨年訪ねた。

 

こちらは周囲の通路の展示。

 

赤い部分が戦災で焼失したエリア。 

 

展示パネルの間にモダンな意匠の窓が顔を現していた。

 

平成31年3月まで改修工事に入っている。今後は2階が閉鎖になることもあると思うので、訪ねる際には事前確認を。