前回のつづき。
大日山35号墳の北側に見えた大谷山(再掲)
公園入口にあったマップによれば、その山頂に前方後円墳の大谷山25号墳が後円部を東に向けて造られている(右端中央下)
大日山の後円部の北側に道がついていたので行ってみることにした。
振り返っての大日山35号墳の後円部先端。
後で地図で調べると、標高140mの大日山から標高95mまで一旦降りて再び130mまで上がった。
山道は谷筋で分岐した後は徐々に細くなり、落ち葉に埋もれてしまった。
頂上近くでは標柱が目印になった(振り返ったところ)
樹林の間から案内板が見えて一安心。
地元の(?)ハイキングクラブが立てた看板だった。標高130.7mと記載。
平坦面があって墳丘の雰囲気はあったが、形を実感することはできなかった。このあたりが前方部か。
木々に囲まれて、期待していた眺望は得られなかった。
横から見た看板の周辺。
後で調べていたら和歌山市のサイトに、解説と石室内や副葬品の写真があった。
http://wakayamacity-bunkazai.jp/iseki/7061/
大谷山22号墳は、全国でも有数の古墳群である岩橋千塚古墳群のなかで、大日山35号墳とならび最大級の前方後円墳の一つで、大谷山の山頂に立地します。昭和41年(1966)に横穴式石室の内部と墳丘の一部が発掘調査されました。
墳丘全長67mで南側のくびれ部に方形の造り出しがあります。発見された埴輪は、家、盾・大刀などの武具、力士や巫女などの人物をかたどったものがあります。
また後円部中央に南に開口する横穴式石室があり、石室全長7.8m、玄室幅2.5mです。大日山35号墳と前後する時期で、6世紀前半に築かれたと考えられています。
額田大玉さんの「古墳とかアレ(仮)」にて、後円部の南側に石室開口部があることを知ったが後の祭り。ライトを持参していなかったので入れなかったかもですが。
http://kofuntokaare.webcrow.jp/page008.html
墳丘には、葺石か石室石材かを思わせる石がころがっていたりした。
もと来た大日山へ戻る際、谷の近くで墳丘らしき土盛が。
開口部?
覗いてみてもよくわからなかったが冒頭のマップによれば大日山20号墳かも。
森の中には他にもそこここにマウントがひそんでいた。
東博で見た、現代のレンチと変わりない形の鉄鉗(かなばし)が出土した大日山70号墳は谷筋を降りた左にあるようだったが、余裕がなかったので次の機会とした。
http://massneko.hatenablog.com/entry/2018/03/08/000000
大日山35号墳の麓に戻って、見上げた東造り出し(左)と後円部(右)
つづく。