墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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洲崎(現・東陽一丁目)~塩浜通り 東京都江東区東陽・塩浜

前回のつづき。

洲崎神社参拝後、東へ橋を渡って東陽一丁目、かつての洲崎(すさき)を歩いた。

Wikipedia「洲崎(東京都)」によると、現在は静かな住宅街となっている旧町名洲崎辺りは元禄年間(1688~1704)に埋め立てられて「深川洲崎十万坪」と呼ばれた海辺の景勝地だったが、明治21年(1888)になって遊郭が根津から移り来て、戦後から昭和33年の廃止までは「洲崎パラダイス」という名の大歓楽街となっていた。

上記の東陽一丁目をグーグルマップの機能「距離を測定」でざっと囲むと約17万6千㎡、つまり 17.6haで、日比谷公園や小石川植物園(どちらも16ha)より少し広い。

 

洲崎神社からの道は西洲崎橋を渡る。

 

橋から南側を。

 

永代通りからは東陽三丁目の信号から南側へ向かい、少し上って洲崎橋(跡)を渡る。

さきほどのWikipediaによれば、かつては橋のあたりに洲崎大門(すさきおおもん)が立ち、戦後の隆盛時には「洲崎パラダイス」と示されたアーチ門があったとのこと。

 

現在、橋の下は自転車道になっている。旧洲崎エリアの北縁にあたる。西縁と南縁は現在も水路になっている。

 

かつての橋は銘板だけ、石碑に嵌められて残っていた。

 

橋を渡ってすぐ右手に昭和を偲ばせる一画が残っていた。

 

増築された長屋建築か。

 

ネット上で検索すると、最近まで残っていた遊郭時代からの建築が紹介されていたりするが、この時点(2017年夏)ではすべてマンションなどに建て替えられていた。

 

検索していたら1958年に撮られた記録映画に行き当った(約1分半)


記録映画『赤線』・洲崎パラダイス 1958

 

こちらの映画もいつか見てみたい。

日活100周年邦画クラシック GREAT20 洲崎パラダイス 赤信号 HDリマスター版 [DVD]

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かつての痕跡はもう残っていないが、洲崎橋から一本東側にも昭和の風情が感じられる一画があった。

 

大通りの南端の角にはモダンなデザインのお宅もあった。

 

グーグルマップを見ていて上記の場所から100mほど東に気になる印があったので行ってみると、こちらのマンションの前の東陽一丁目第二公園に出た。

 

大きな石碑があった。

 

マップには「洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養碑」とあった。

 

大通り南端の橋を渡ると、150mほどで地下鉄東西線の車両基地に突き当たる。

 

そこから基地に沿って東に歩いてみた。

 

基地の土台は周囲より高く、基地を見渡すポイントは見つけられなかった。

 

橋を渡るところにて、これから仕事に向かう一編成を。

 

その先は高架だがすぐに地下に入り東陽町駅につながる。

 

その先の塩浜通りには、JR越中島支線の新砂踏切があった。

 

踏み切りから北方向。レールは北へ、亀戸駅の隣を通って総武線を新小岩駅まで並走し、常磐線金町駅までつながっている。

 

南側、越中島貨物駅方向。線路は今も貨物(レール)輸送に使用されている。

 

その後、明治通りに一旦出て、京葉線の潮見駅へ向かった。

新木場から潮見に近づく京葉線。何枚か撮ったが全てブレた。

 

このあたり、季節がよければ運河と広い空地が気持ちよさそう。京葉線の車窓も浮遊感があって楽しめる。