墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「新指定 重要文化財 野毛大塚古墳-世田谷の中期古墳-」展 @東京国立博物館・上野

タイ展へ行った際に同じ平成館で開催していた野毛大塚古墳に関する企画展示も見た。

 

野毛大塚古墳は世田谷区野毛にある全長82mの帆立貝形古墳で、5世紀の築造。

東京都内で最も美しく墳丘を残す(私的な感想です)

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墳丘には4つの埋葬施設があり、4人の被葬者がいたと考えられている。

明治30年(1897)に箱形石棺(第2主体部)が発見されて多数の滑石製模造品が出土した。

その後の調査で第1、3、4主体部等から出土した世田谷区所蔵品は、昨年(2016)に重要文化財に指定され、世田谷区郷土資料館では記念展も開かれた。

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2017年、前年に続いて東京国立博物館所蔵の第2主体部の出土品が重要文化財に指定されることになったので、今回はそれを記念する企画展。

 

第2主体部からは数多く出土した滑石模造品は水や生産に関わるものが多く、被葬者である首長は農産物の豊作を神に祈っていたようだ。

 

右と中央が滑石製槽(そう)で、左が下駄。10cm程度だが精巧に作られている。

 

槽は、水を濾過する木製の導水施設の中心部とのこと。

滑石製下駄は木製下駄を模造していて、槽で清められた水を汚さないようにするために祭祀の執行者が木製下駄を履いたとする説があるそうだ。

 

水を使った儀礼に関わる、導水形の施設を再現した滑石製槽は他に類例はなく、下駄、坩(かん・小壺)、皿も珍しい出土品。

 

滑石製の坩(かん)

滑石製皿とともに、祭祀で神へ捧げる飲食物を入れるための容器を模造したと考えられるそう。土師器の坩をモデルにして、4世紀には碧玉製や緑色凝灰岩製の石製坩が作らるが、5世紀に入ると柔らかい石材の滑石を用いて滑石製坩が作られるようになった。

 

装飾品としては滑石製の勾玉や臼玉のほかに、瑪瑙勾玉やガラス小玉、碧玉管玉などさまざまな材質の玉が出土している。

 

滑石製刀子は232点以上で東日本最大数を誇っている。

 

そのアップ。

 

世田谷区郷土資料館では第1主体部で出土した見事な甲冑を見たが、第2主体部からも明治期に甲冑が出土したと伝えられていて三角板革綴短甲と三角板革綴衝角付冑であった可能性が想定されているそう。


ここでは武具としては鉄刀が展示されていた。

 

円筒埴輪の残欠も、しっかり展示。 

 

多摩川左岸、野毛と田園調布での古墳の編年表。削平されたものも入っている。

 

現在も残る主要古墳。上野毛から田園調布にかけては、まさに東京の”古墳銀座”。

 お時間あるときに・・・

 

東博の野毛大塚古墳展は9月10日まで。

 

考古系の常設展示もチラッと見た。

”今月のおすすめ”の、重要文化財の埴輪・盛装女子(群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土:6世紀)
女子像を表した人物像としては、稀な全身像です。スカート状の裳と、筒袖で左前合わせの上着を身に着けます。髪は島田髷を結い、額には竪櫛を挿し、玉類を連ねた耳飾。首飾・腕飾で前身を覆います。上着には鱗状、裳には短冊状文が線刻され、白や赤などの彩色が残ります。

 

時代は大きく異なるが、縄文期の土偶のコーナーにも目が行ってしまう。

 

山梨県御坂町上黒駒出土した縄文中期(前3000~前2000年)の土偶

 

みみずく土偶(縄文後期:前2000年~前1000年・さいたま市真福寺貝塚出土・重文)の「持てるレプリカ」があった。実物と同じ650g。

 

こちらもおなじみのハート形土偶

群馬県吾妻郡東吾妻町郷原出土(個人蔵、重要文化財)で縄文後期(前2000年~前1000年)のもの。

 

 

こちらは平成館ではなく、本館2階の「日本美術のあけぼの」の部屋で展示されていた埴輪・盛装の男子。

群馬県太田市、四ツ塚古墳出土で6世紀のもの。

 

くつ先までしっかり表現されていた。帽子はどんな素材だったのだろう。

 

出るとすっかり日が落ちていた(この日は夜間開館日)