勾玉などの「宝飾」をテーマにした展覧会へ終了間際に出かけた(2018/12/9まで)
古墳時代の副葬品に見られる勾玉だが、そのルーツは縄文時代に遡り、その形はもともと猪などの牙を模したという説が有力であることを初めて知った。
確かに矢じり等で狩りをしていた人々にとって、動物の牙は脅威であると同時に力の源泉と感じたであろうことは想像に難くない。
「玉」は1万5千年前から石や貝で作られ、縄文前期(BC3500年頃)から新潟県姫川産のヒスイ玉が、そして縄文後期(BC2000年頃)から勾玉などの原形が登場したという。
石川県野々市市の御経塚遺跡(縄文後期・晩期)出土の様々な形の玉類。
弥生時代中期の青谷上寺遺跡の玉未成品と、松原田中遺跡の玉未成品・工具。
管玉の細い穴はどうやって開けたのか不思議だったが、ドリルのように細い鉄芯(その昔は石)を使っていたのだった。
古墳時代後期の出雲・大原遺跡における玉作り工房の復元模型。遺跡は1辺8mある。
石を割る人、磨く人、穴を開ける人、加熱する人など分業の様子。
古墳時代後期の面白谷遺跡(島根県)からは、砥石や作りかけの未成品が数多く出土している。左から、砥石、碧玉製勾玉、管玉、メノウ製勾玉、水晶、滑石と、素材もバリエーション豊富。
古墳時代前期後半には、島根県花仙山周辺で産出する碧玉・メノウ・水晶が、着装・副葬の”ブランド”となっていたそうだ。
新沢千塚500号墳出土の玉類・石製品は、出雲ブランドのメノウ製・水晶製勾玉が古墳に副葬される最初の段階のものとのこと。
出雲産の碧玉とメノウ。右下は二つともメノウだが、加熱すると右のような赤色になるそうだ。
こちらは 韓国の慶州金冠塚古墳から出土した金冠のレプリカ。沢山のヒスイ製の勾玉が付いている。
キャプションには「朝鮮半島の新羅王陵からは、多数のヒスイ製勾玉が出土している。今のところ、朝鮮半島でヒスイの産出地は知られていないことから、日本列島から運ばれたものだろうとされている」とあった。
図録(12頁目)に書かれた「ヒスイ製勾玉が、大和・河内などの中期古墳から減少することの理由として」、「朝鮮半島南部の鉄素材を日本列島に導入するために等価交換されたのが、ヒスイ製勾玉と推測される」ということにもとても興味をひかれた。
福井県・十善の森古墳(古墳時代後期)出土の冠(レプリカ)等は新羅の影響を受けている(新羅製?)とあった。
展示物には、これまでに訪ねた古墳からの出土品も数多くあった。
雨の宮1号墳出土の石製品。貝で作っていた腕輪が石製品となっている。
大谷古墳出土のガラス製勾玉・棗玉や滑石製臼玉。
藤ノ木古墳出土の銀製鍍金空玉。
こちらも藤ノ木古墳から。レプリカだが、被葬者の後頭部から背中を飾った玉簾状ガラス製品は1万個以上のガラス玉が使われている途方もなく手がこんだもの。
展示物には玉そのものだけでなく、埴輪等それを身にまとう姿を表現したものもあった。
弥生時代の楯築墓出土の人形型土製品。
10cm以下の大きさだが、首飾りの勾玉に手をかける様子が刻まれていて、人物埴輪に先行する最古の首飾り表現になるとのこと。
古墳時代の埴輪は、玉飾りから男女の違いも判別できる。
以下3体の女子埴輪には、横から見ると耳に、女子特有の輪のような飾りが見られるが、全て正面からしか撮っていなかった・・・
常光坊谷4号墳(三重県)の人物埴輪。
猪俣南2号墳(埼玉県美里町)出土の「頭に壺をのせた女子埴輪」
せきね古墳出土の女子埴輪。
埼玉県行田市・酒巻14号墳出土の「玉飾りを身につけた人物埴輪」
こちらのキャプションには「長い筒袖の上衣と山形の冠、先の尖った沓などの表現から、渡来人を象ったとみられ」、「丸玉のみで構成される頸飾り」は「渡来系玉類である金属製空丸玉の連がモデルであろうか」とあった。