墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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松本市立考古博物館 長野県松本市中山

前回のつづき。

松本市立考古博物館は中山霊園を出てすぐのところにある。 

 

入場料は一般200円。

 3月~11月は月曜休館だが、12月~2月は土・日・祝日以外が休館となる(年末年始は休館)

公式サイトの利用案内にJR松本駅前バスターミナルから中山線「中山霊園口」 下車徒歩3分とあったので、当初はバスで行こうと思ったが、一日2便で木曜(この日)は運休のようだったのでレンタカーを借りた次第。

 

弓矢体験中の小学生。 

 

絵だがリアルな的だった。

 

 縄文中期の炉のある家が復元されていた。

 

階段を上がった先が展示室。

 

”考古"博物館だけあって、縄文、弥生、古墳時代の展示が非常に充実していた。

https://www.city.matsumoto.nagano.jp/sisetu/marugotohaku/koko/kokohaku_zyousetu_tenji.html

 

丸窓を覗き込むような土偶の展示。

 

縄文中期中頃の生妻遺跡出土の土偶。

 

その裏側は石棒の展示だった。 

 

サイズはさまざま。

 

縄文中期の小出遺跡出土のものは数センチの大きさ。ジャコメッティ展で見た、小さな立像を思い起こした。

 

ずらりと並んだ縄文土器。

 

個性的な模様が施された縄文中期(5千~4千年前)の土器たち。

 

躍動する線。縁の膨らみがすばらしい。

 

見事な模様は専門の職人がつくったように感じられる。

 

「釣手土器」はランプとして使われたと推測されるそう。

 

縄文中期~後期のエリ穴遺跡のジオラマ。

 

エリ穴遺跡から出土した縄文晩期(3千年前)の人面付土版は16cmほどの大きさ。

表面に女性の顔や乳房、手足などが表現されている。

公式サイトによれば、土版は関東地方を中心に晩期の東日本で盛んに作られ「お守り」として用いられていたと考えられているが、この土版は二つに割られて出土したことから護符以外の用途の可能性もあるとのこと。

https://www.city.matsumoto.nagano.jp/sisetu/marugotohaku/koko/kokohaku_data_room.html

 

出土状況のジオラマ(白い点は光源の反射)

 

ほかにも豊かな表情や体つきをした多数の土偶が展示されていた。大量の耳環もあった。

 

こちらは弥生土器。

 

もちろん(?)、古墳時代の展示も大変充実。 

 

 南方(みなみがた)古墳出土の見事な勾玉。

平成元年の工事で発見された古墳で、7世紀頃に造られて8世紀まで数回の追葬があり、700点以上の副葬品が発掘されている。 

http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/111.html

 

玉類の展示は宝飾品売り場のショーケースのようだった。

 

そこには輝き続ける金環も。

 

南方古墳からは、壺鐙(左)や杏葉・雲珠(右)などの馬具類も副葬されていた。

 

 

こちらは、蟻ヶ崎の放光寺開き松古墳出土の眉庇付冑。5世紀後半のもの。

 

 平田里(ぴったり)古墳からの埴輪や須恵器。

 

桜ヶ丘古墳(5世紀後半頃)からは天冠(とそのレプリカ)や大刀、玉類、鎧破片などが出土した。

古墳の第一発見者は中学生で、アリの研究中に偶然石室を掘り当てたのだそう。

 

宝冠のレプリカ。

鉢巻状の帯に飾りをつけた「天冠」は近畿地方を中心に全国で約60例見つかっているが、長野県では桜ヶ丘古墳からのみ。
朝鮮半島南部の伽耶地域との関係がうかがわれるが、一般にヤマト政権から地方豪族に与えられたと言われているそう。

 

見事な衝角付冑。 三角板革綴衝角付冑といって三角形の鉄板を革ひもで結び合わせてあるが、このタイプの冑は長野県ではこの例しか見つかっていないとのこと。

冑は世田谷の野毛大塚古墳出土のものと似ている印象を受けた。

 

桜ヶ丘古墳出土の短甲。長方板革綴短甲といって横長の鉄板が革ひもで綴じられている。短甲と衝角付冑がセットで出る例は長野県内では非常に少なく、松本ではやはりこの例のみとなるそう。

 

復元された甲と鎧を着用できるようになっていた。

 

古墳時代から中世にかけての向原遺跡の出土物。

 

そしてこちらは弘法山古墳のコーナー。3世紀末はやはり古い。

 

大量のガラス小玉をつないだネックレス。

 

半三角縁四獣文鏡には「上方作竟自有□青□左白乕居右」の文字が刻まれている。上方(中国の官営工房)で作られて日本にもたらされたことがわかるそう。

 

鉄刀や鉄鏃も出土している。

 

小型の高坏も。

 

手焙型土器や壺の展示。

 

そこには、弘法山古墳の墳丘から見える山並みのパネルもあった。

まっ白な三角は常念岳。やはり冬に行ってこの眺めを見たい。

 

古墳時代の初め、ヤマト政権は地方豪族と手を結んで国造りを進めたが、長野県では前方後円墳の多く残る善光寺平が支配の中心だったと考えられるそう。

(当ブログのプロフィール写真は、その善光寺平を見下ろす位置にある森将軍塚古墳)

弘法山古墳は、それよりも前に、東海地方の勢力が松本や天竜川の流域と関係を結んでいたことを示しているとのこと。

長野県の前方後円墳は右上の善光寺平と左下の伊那谷に集中する。

 

当館の展示は、実物やレプリカに触れたり、模様や穴をつけたりできる体験ものが充実していた。

縄文土器のかけらや黒曜石に触れるコーナー。

 

石皿で木の実をすりつぶしたり、粘土に縄文をつけるコーナー。

 

石に穴を穿つコーナー。 

 

耳環を持ってみるコーナー。実際に耳につけるとかなり重そう。

そして始めの方の写真のように、外では弓矢を放ったりもできる。 子供も楽しめる工夫がよくされている展示だった。

  

外にあった周辺の史跡マップ。このあと中山の古墳をさらに訪ねた。