前回のつづき。
赤坂氷川神社境内の北側にゆるやかな坂があった。
修繕されたばかりの標柱。
ひかわざか
八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である。
氷川坂側からの氷川神社参道。
いい雰囲気の崖面と石段がある。
「もと正面」と標柱にあっただけあって、こちらのアプローチは大変素晴らしい。
この先で右に直角に曲がって拝殿となる。
石段手前の右手にも社があった。
この界隈にむかしから鎮座していた4つの稲荷社を遷座合祀した四合稲荷神社(しあわせいなり)
石段の右手には西行稲荷。享保年間?に西行五兵衛という人がひろった鉄像に由来するそうで西行法師とは関係がなさそうだった。斜面に穿った穴に水が供えられていた。
石段の左手には野趣のある庭園があった。
横穴式古墳の入口のような趣があった。
氷川坂へ戻り、坂下から見上げたところ。
坂上に向かって左側に、魅力ある細道があった。人通りの多い小道だった。
鹿島建設のオフィスビルの公開空地(通路)の模様。
途中で右手に階段を登ると転坂(ころびざか)の途中に出た。
氷川坂との接続点まで戻って見上げた転坂。
標柱の説明文。
ころびざか
江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった。
今でも斜度が一定でなく、車での乗り心地は悪そう。
坂上から。歩く分には魅力的だった。
そのまま北へ進むと”お城”の方向へ下る。
坂下の左手は赤坂氷川庭園。
赤坂には公園の沿革案内が多かった。
旧町名の由来板も(後で折をみて文字化します)
戦後でも、魅力的な町名は残っていた。
”お城”の前で右に曲がり、坂を上がると「港区赤坂子ども中高生プラザ(旧氷川小学校)がある。
建物の前の角地に、勝海舟と坂本竜馬の銅像があった。
敷地内には「勝安房邸跡」の碑があった。勝海舟が明治5年(1872)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地だった。
館内には陶器片や煉瓦などの邸宅跡からの出土品が展示されていた。
パネル説明板も。
港区立赤坂子ども中高生プラザ&特別擁護老人ホーム サン・サン赤坂の外観。
その道を南へ進むと細道が。
”細坂道”を進んでいくと、氷川坂に戻る。
つづく。