墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

塙保己一史料館 東京都渋谷区東 

渋谷区の山種美術館を訪れた際、スマホマップに現れた「塙保己一はなわ ほきいち)史料館」に興味を惹かれ行ったみた。

 

堅牢そうな建物は昭和2年の築造。建てたのは清水組。

 

道路側に斜めに両翼を出していた。

 

左右対称に近い造り。

 

柱が外壁に出ていて、内部の”倉庫”を使いやすくしている。またコンクリは良質な多摩川の砂利を使っているので堅牢なのだそう。

 

入館料は100円。建物に入ると玄関があり、左に事務室、上に続く階段があった。

入るとすぐに係りの方がいらして、右手の部屋が開き、中へ入って解説を受けた。

 

扉の先にはずらりと1万7千枚の版木(表裏でその倍の頁)が並んでいた。

 

塙 保己一(1746~1821)は自分は”名前を聞いたことがある程度”だったが、この「群書類従」の版木の部屋に来て、その偉業に圧倒された。

 

現在の埼玉県本庄市児玉町の農家に生まれ、7歳のとき肝(疳?)の病がもとで失明、15歳で江戸に出て盲人の職業団体である当道座の雨富須賀一検校に入門鍼・按摩・灸、琴・三味線などの修行をするが上達せず、雨富師匠の支援で学問を始めて文学・医学・律令神道などを、さらには賀茂真淵にも入門し『六国史』などを学び、安永8年(1779)34歳から『群書類従』の編纂に取り組み、40年後の74歳で完成させた。

ここを昭和12年に訪れたヘレン・ケラーは「私は子どものころ、母親から塙保己一先生をお手本にしなさいと励まされて育った」と語っているそうだ。

 

群書類従」の解説。

群書類従 解説
盲学者塙保己一が、散逸のおそれのあつ一巻、二巻の貴重な書物を集め、厳密に校訂して開版した大叢書。総数1,273種(現在1,277種)の貴重書を25部門に分類して収録し、670冊(現在665冊、目録1冊)に仕立てられている。この叢書によって、わが国の貴重な書物が永久に散逸から救われ、いつでも、だれもが利用できるようになった恩恵はまことに大きい。版木はすべて桜材で、総計17,244枚あり、昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定され、版木倉庫内に完全保管されている。後略

版木は、明治10年(1877)に保己一の孫によって浅草文庫へ移された後、文部省倉庫、四谷愛染院倉庫を経て、昭和2年(1927)、渋沢栄一が創立した温故学会会館が現在地に建設されて保管された。

昭和20年5月の空襲で会館内にも焼夷弾2発が飛び込んだが、当時の会長斎藤茂三郎が手づかみで館外へ投げ出し、会館も版木も焼失をまぬがれたという。

 

版木はオリジナルのもの。材は山桜。堅くて版木に適しているそうだ。

 

横からみると彫った面が見える。

 

当然彫り師はいるわけだが、1200冊を越える本の知識を耳から得て、”校訂”つまり”書物の本文を、諸本と比べ合わせてよりよい形に訂正して”それを後世に残すために版木にする、というプロジェクトの膨大さに頭がくらくらした。

 

小柄な石像が屋外にあった。

 

2階には講堂があった。

 

なんと畳敷きで障子や欄間もある。

 

温故学会では今もさまざまな活動をされている。

 

3階への階段は立入禁止となっていた。

 

使い込まれた手すりや石段に温もりを感じた。

 

埼玉県本庄市には平成27年にリニューアルされたばかりの塙保己一記念館があり、666冊の本となった群書類従が見られる。国史跡の旧宅も残っているとのこと。

塙保己一記念館 /本庄市ホームページ

こちらも訪ねたくなった。