前回のつづき。
というより前回が今回のつづきで、野田市へ行く前に流山市立博物館で「鰭ヶ崎(ひれがさき)三本松古墳」展を見た。
1階が図書館で展示室は2階にある。
流山市内の古墳マップ。グレイの部分が台地上になる。鰭ヶ崎三本松古墳は下方の台地先端にあることがわかる。
昭和24年時点の航空写真。円の中心に墳丘。
昭和38年に墳丘から撮られた貴重な写真(岩崎卓也氏撮影)
現在の様子。現地説明会(2016/6/18)にて。
同氏による土取り時の写真も。 鰭ヶ崎団地造成に土が使われたそう。
調査の過程がよくわかる資料も。
調査前は全長25の前方後円墳と考えられていたが、調査で周溝の位置が明らかになり元は40mあったと考えられるようになったとのこと。
墳丘からは近世の瓦や土器、戦時中の陶磁器なども出土。
墳丘や周溝から出た円筒埴輪。現地説明会で見たもの。
こちらも説明会で見た人物埴輪。頭部はもともと鰭ヶ崎小学校で保管されていたものだが、今回の調査の頭飾りの笄(こうがい)が出土し、ピタッと合ったそうだ。
別の人物埴輪片。
鰭ヶ崎三本松古墳からは、人物の腕や手、顔などの人物埴輪の他に、挂甲や盾などを持った武人埴輪や馬形埴輪の欠片も出土している。
以上が企画展示(の一部) 本企画展は9/19まで。
流山市立博物館は常設展もスペースが広く充実している。
こちらは東深井古墳群から出土の埴輪たち。
東深井古墳群へは2年半前に訪れた。東深井古墳群 千葉県流山市 - 墳丘からの眺め
アンテナのような甲をかぶる武人。
髪の表現がリアルな男子。
動物埴輪もある。鶏形埴輪。
魚形埴輪(複製)
並ぶと壮観。
東深井古墳群の埴輪は1階の正面玄関にも3体並んで来館者を迎えている。
以下はその解説文。
人物埴輪 流山市東深井9号墳 6世紀前葉
現高:左75cm・中央89cm・右90cm 流山市立博物館所蔵
胴部両側に鰭状の板があり、防御用武具の盾を構えた人物を表現した武人埴輪です。3体とも笄帽を被り、耳は円孔で表現され耳環を下げています。微笑みかけるような表情をしています。
中央の資料の正面には、たすきのように突帯が張付けられ、「句兵(くへい)」というカギ状の刃を持つ武器が表現されています。鰭の下には突帯が一巡し、その下は円筒の基台部になっています。基台部の両脇に一対の円孔が開けられています。
このほか中央と右の埴輪は、盾の裏側胴部にも円孔が一対あります。
頭上の笄は帽子を被るとV字になる?
解説にあるとおり、武人なのに穏やかな表情。
流山は古代の駅路にも当たっていた(茜津)
みりん造りのコーナー。流山で「万上」を造っていた堀切家は野田の高梨家・茂木六家ととともにキッコーマンを創業している(現社長は掘切家の方)
川蒸気のコーナー。
利根運河のコーナーも充実。
昭和30年代に江戸川台団地ができて流山の人口は急増した。
八千代台団地とともに「一戸建て分譲の住宅団地」としては日本初だったとのこと。
ニューレーダー作戦ゲームも展示されていた。昔やりました。
正面玄関には、暮らしの手帖のバックナンバーも展示されていた。
創刊号はガラスケースの中に。