前回のつづき。
真野宮を出たのは17時半ごろで日没が近づいていたが、そのあとに、自分にとってはこの旅のメインの目的地である台ヶ鼻古墳を目指した。
旅の計画を考えていた時に「佐渡 古墳」でググったら3番目に下記のpdfが出てきて「ここを訪ねるべき」と思ったのでした。
http://nirr.lib.niigata-u.ac.jp/bitstream/10623/27405/1/017_14_1-32.pdf
上記のpdfにある地図を見たときに、まず立地が素晴らしいように感じた。
真野湾の北側、湾に出入りする舟を見渡せる高台にあり、まさに「制海権」を掌握していた人が眠る場所のように思える。
現在でもすぐ近くに台ヶ鼻灯台がある。
県道45号から古墳への入口は、初回は見落として通り過ぎてしまった。戻ってたまたま畑仕事をしている方に伺ってゲートを見つけた。
少しあせっていてゲートの写真を撮り忘れので、ストリートビューから。
看板には「パラアイランド佐渡」とあった。
あとで検索したら、モーターパラグライダー場への入口だった。
youtubeに空からの動画も投稿されている。楽しそう。
ゲート脇には「県指定文化財 台が鼻・台ヶ鼻古墳」の標柱があった。
ゲートは閉まっていたが、人は脇から入れるようにもなっていたので中へ進んだ。
少し先に分かれ道があってまた標柱があった。
が、分岐した先の道は膝下ぐらいの雑草が生い茂る。
左右の草むらも密度を増してきた。膝丈のズボンだったので足も靴も濡れてくる。
ちょっと先が明るくなってきたので、期待が高まる。
すると別の標柱が現れた。さらに100mあるという。
薄暗い笹藪のトンネルのような場所をかがみながら進む。注意して進むが3回ぐらいクモの巣をかぶってしまった。
もう少しかと思われるところで、道はさらに狭くまるで穴の中へ降りるように続いていた。
ここまで来て・・・と迷いましたが、身の危険を感じたので引き返しました。
「古墳見学士」の上級には、なかなかなれない、と思った瞬間でした。
ということで、エントリのタイトルは本当は「台ヶ鼻古墳(未到達)」でした。
無念。早春の時期に再挑戦したいです。
あとで調べていたら、いくつか資料がありました。まずはわかりやすい台ヶ鼻古墳 | 佐渡市の文化財
相川地区の米郷から二見へ行く途中、台ヶ鼻と呼ばれる小さな岬上に築造された6世紀中頃の古墳です。明治時代に盗掘され、天井石の全てと奥壁の一部を失いましたが、石室の羨道と玄室が現存しています。羨道は長さ約3m、幅80㎝、高さ1.5mで、玄室は長さ3.6m、幅2m、高さ2mの両袖式石室です。石組の石材は海岸の転石を一部加工して使用しており、玄室の床には玉石が敷つめられていました。石室の四隅は三角状の石を置いて天井まで持ち送っていく「隅三角状持ち送り式天井の石室構築法」は、高句麗式とも呼ばれ、県内では他に例をみない貴重なものです。すでに失われているものの、かつては須恵器・直刀・人骨が出土したといい、近年の調査では金環や鉄刀が出土しました。(写真:下記)
※写真は発掘調査時のもので現在は埋め戻されています。「文化財探訪マップ:佐渡市世界遺産推進課発行」にはそれが記載されていない(石室写真はある)ので、間違える方も出てしまうことが懸念されます。
古墳の正確な位置も、真野古墳群と同様に上記サイトでわかりました。
下記をグーグルマップの窓に貼り付けて「検索」してみてください。
+37 57 55.094",+138 15 17.363"
いい場所にあります。
こちらの佐渡市の文化財では周囲の地形についても触れています。
佐渡において、古墳はほとんどが真野湾ぞいに存在しています。相川地区の二見半島には9基の古墳があります。米郷から二見へ行く途中の半島の突端に台ヶ鼻灯台があります。この灯台の真下に台ヶ鼻と呼ばれる小さな岬が突出していますが、台ヶ鼻古墳はこの小さな岬の馬の背状の稜線に構築された古墳です。古墳はこの背をたち割って石室を設け、周囲を削ってその土を盛って墳丘を作っています。低い墳丘ですが、海上から望むと、峻立してみえます。
上記のサイトでは写真をクリックすると実測図が現れました。
下記の「埋文にいがたNo.62」には空からの貴重な写真がありました。
http://www.maibun.net/image/62-p8.pdf
写真のほかに「佐渡に拠点を築い 佐渡に拠点を築いた集団が島内で古墳を造営した初めての例であり、6世紀代に北九州地域の古墳構築技術が佐渡にもたらされたことがわかり、日本海地域の交流を考える上で重要な古墳」であること、また石室の保存のために埋め戻しをしたことが記されていました。
ラ・ラ・ネット|新潟ふるさと情報(国・県指定文化財)|台ケ鼻古墳では古墳の造営時期は7世紀後半とありました。「その立地に特異性があり、隅三角状持ち送り式天井の石室構築法は、県内では他に例をみない貴重なものである」との記述もありました。
エントリを書くにあたり調べていたら、下記の方のブログに「現地」の様子が掲載されていました。
撤退して戻る途中、ちらっと見えた風景。
実際に古墳のある位置から真野湾を眺めてみたかったのですが、近い雰囲気は味わうことができました。
6世紀~7世紀という時代から、対馬海流を活用して北九州から越の国までの地域を掌握していた集団があり、一時代のリーダーがここにいた、ということ(妄想?)をリアルに感じることができました。
佐渡金山に近い場所でもあるので世界遺産登録の機会に、それより千年ほど前の遺跡もいつでも見学できるように整備していただけたら幸いです。