墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新羅善神堂 滋賀県大津市園城寺町

園城寺亀丘古墳(弘文天皇 長等山前陵)に隣接する森に大きな鳥居がありました。

 

石段の奥へ進むと大木。

 

崩れ気味の石垣の間を上がってみます。

 

石段を上がって振り返って。石がゴロゴロしており、落ち葉も堆積していて、おそるおそる入ってきました。

 

その先には檜皮葺の社殿が。

 

優美な屋根。


説明板で、国宝建物と知りました。

足利尊氏再興の社殿
国宝 新羅善神堂(しんらぜんしんどう)
南北朝時代(貞和3年 1347)
桁行三間 梁間三間 一重 流造 向拝一間 檜皮葺

三井寺の鎮守社のひとつで、北院伽藍の中心建築です・現在の建物は、足利尊氏によって貞和3年(1347)に再興されました。。檜皮葺屋根の流れるような美しさをもつ社殿建築で、「流造」の代表的遺構として知られています。
堂内の須弥壇には素木の厨子が安置され、三井寺の開祖・智証大師ゆかりの国宝・新羅明神坐像がまつられています。
平安時代、河内源氏の武将・源頼義の三男・義光が、新羅明神の社前で元服し、新羅三郎義光と称したことから三井寺は源氏一門をはじめ河内源氏の流れを汲む足利家の尊崇を集めることとなりました。
文化庁

 

三井寺のサイトに解説がありました。ここは三井寺の境内だったのですね。

三井寺>名宝の紹介>建造物>新羅善神堂

新羅善神堂 | 文化遺産一覧 | 三井寺文化遺産ミュージアム | 天台寺門宗 総本山三井寺

 

門の前から。

 

門の隙間から。垂木の色がカラフルです。

 

場所はここ。

 

大津市歴史博物館を目指し、弘文天皇陵・新羅善神堂から山際を南に向かうのですが、なんだか本格的な山道に。

 

途中で博物館建物が見えたので左に降りると、大津陸軍少年飛行兵学校の石碑前に出ました。

 

さらに南に建物裏を回ると、やっと普通の道に。振り返ると、まむし注意の貼り紙でした。

ということで、このルートはお勧めできません。弘文天皇陵から博物館へはいったん県道へ戻るのが正解です。

2024年6月上旬訪問