前回のつづき、朝夷奈切通から鎌倉市側の一般道へ出たところ。
車は通れない橋にガードレールが。
川は結構深かった。
川沿いの歩道を通過して、案内板のあった十二所神社へ。
小字名にもなっている十二所神社を正面から。
神奈川県神社庁のサイトには「じゅうにそじんじゃ」とあり、社伝による創建時は弘安元年(1278)となるそうだ。
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=392&cd=1205005&scd=&npg=0
拝殿に参拝。
山裾を削り出したような境内。
十二所神社から10分ほど西へ歩くと明王院。
山門は関所のような冠木門(かぶきもん)
山門脇に説明板があった。
明王院
宗派:真言宗御室派 山号寺号:飯盛山寛喜寺明王院 創建:嘉禎元年(1235) 開基:藤原頼経 開山:定豪(元鶴岡八幡宮別当)
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、古くから五大堂と呼ばれていました。五大明王とは不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王で、鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。
毎月28日には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。鎌倉市
藁ぶき屋根・宝形造りの御堂など魅力的な建物があったが、残念ながら門から先は撮影禁止だった。
さらにバス通りを4分ほど進むと、枝道の脇に足利公方邸旧跡の石碑が。
ぽつんと石碑が立つだけだが後で調べると下記の方のサイトで、足利義兼以降200年以上に足利氏が屋敷を構え、室町時代には足利公方(鎌倉公方)の御所となって関東以東を治めた場所だと知った。足利尊氏も住んでいたそうだ。
https://kamakura-guide.jp/ashikaga-kuboutei-ato
さらにバス通りを4分進むと、一条恵観(いちじょうえかん)山荘(国指定重要文化財)が。残念ながら開園時間前だった。
一条恵観(1605~1672)は江戸時代初期の皇卿、御陽成天皇の第九皇子。そのの別邸として京都西賀茂に創建された茶屋(寛永~正保年間の築)が戦後移築されたそうだ。
月火以外で月に7,8日公開されているので再訪したい。
再びバス通りを進むと、山裾に紫の部分が。二車線で交通量の多い道路だったがところどころ歩道がなくなるので注意して歩いた。
ズームで野生の(?)藤の花。
そのすぐ先で北への枝道を入った先に浄妙寺があった。
ここにも鎌倉市による説明板。
浄妙寺
宗派:臨済宗建長寺派 山号寺号:稲荷山浄妙寺 建立:文治4年(1188) 開山:退耕行勇 開基:足利義兼
源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を開山として建立しました。行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代には境内に23の塔頭を持つ大寺院でした。現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残っています。茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成3年に復元されました。本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされています。鎌倉市
さきほどの石碑にあった足利義兼の開基。ちなみに義兼の妻は源頼朝の妻・北条政子の姉妹になるそう。
入口には境内の絵地図もあった。
拝観料100円を納めて境内へ。美しい屋根カーブの本堂に参拝。背後の庭園は整備中だった。
新緑のイチョウ。
その後ろには、お茶室と庭園。
少し上がっていくと美しい洋館が。「石窯ガーデンテラス」というレストランで、英国風のハイティーも楽しめるようだ。
10時の開店まで30分ほどあったが、予約順の受付は始まっていた。
下記の方のブログによれば、建物の設計はドイツ人建築家で竣工は大正11年。貴族院議員・犬塚勝太郎(1868~1949)の別邸として建てられたとのこと。
https://blogs.yahoo.co.jp/mhf03571/35308058.html
次の機会で優雅にお茶をしたい。
浄妙寺の裏手の墓地上からの眺め。石窯ガーデンテラスはさらに上(背後)に建つ。