墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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上の山古墳(跡) 山口県下関市綾羅木

前回の若宮古墳群を見学した後は、下関市考古博物館から東へ、丘陵上の古墳を巡る「史跡の道」を辿りました。(実際は車でウロウロしてしまいましたが)

 

了元寺東側に「上の山古墳 川北神社」の表示板。

 

その指し示す方へ。

 

丘へ上がると川北神社。段の上が後円部でしょうか。

 

拝殿と本殿。

 

その背面に説明板。

上の山古墳
上の山古墳は、ここに川北神社が造営されることになり、明治42年古墳上部が削られた。当時、工事にかかわった人たちの証言から全長100m余の前方後円墳と考えられ、現在の社殿付近に後円部があり、鳥居に向かって前方部が有ったと考えられる。
後円部には、石を組み合わせた横穴式石室と呼ばれる墓室があり、中から墓に葬られた人の権力を示す六鈴鏡、鈴付釧、三輪玉、身体を飾った瑪瑙や水晶の勾玉、水晶や碧玉製の管玉、ガラス製小玉、水晶の切子玉、さらに鐙、鉄鏃などの武器も発見され、現在東京国立博物館に所蔵されている。
このように豊富な副葬品の出土や、古墳の規模からも6世紀後半頃、長門を統治した権力者の墓であると推測される。
下関市教育委員会 郷土の文化財を守る会

 

そばに気になる板石。文字が彫られている様子は感じられず。

 

拝殿前から振り返って。

広角ですが、全部が後円部だったら広すぎますね。

 

全長100m超だったら、その先の鳥居までが墳丘だったのでしょうか。

 

その鳥居の側から。