墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

渋沢栄一特別展 @日証館 東京都中央区日本橋兜町

3つ前のエントリの、日本橋ダイヤビルディング(下の写真の左のビル)を訪ねた際に、高速を隔てた東側で日証館の前を通りがかりました。

f:id:massneko:20210328143028p:plain

日証館の玄関前に「渋沢栄一特別展」の案内が出ていたので、入ってみました。

 

エントランスは大変ゴージャス。

f:id:massneko:20210328143053p:plain

 

階段脇に、若き日の渋沢栄一とツーショットが撮れるスポットがあります。

f:id:massneko:20210328143112p:plain

階段横の壁には建物の解説がありました。昭和3年の築です。

日証館

竣工:昭和3年(1928)

設計:横河工務所

施工:清水組

日証館は、東京株式取引所により、旧市場館・本館と同時期の昭和3年(1928)に建てられました。

当初は東株ビルディングといいましたが、昭和18年(1943)の日本証券取引所設立後に日証館と呼ばれるようになり、戦時中は金属回収のため暖房装置やエレベーターなどが取り外され、供出されました。

昭和21年(1946)、取引所の市場館・本館が米軍に接収され、取引所市場は閉鎖されましたが、同年5月から東京証券取引所が設立される昭和24年(1949)5月まで日証館1階の事務室で取引所取引に代わる集団取引が行われていました。

戦後は証券会社数が激増し、昭和26年(1951)には35社の証券会社が入居していました。

 

日証館のあるこの場所には、関東大震災前まで辰野金吾が手掛けた旧渋沢栄一邸が建っていました。

旧渋沢栄一邸

竣工:明治21年(1888)

設計:辰野金吾

施工:清水組

第一国立銀行、東京株式取引所などの創立者として知られる渋沢栄一翁の兜町邸宅は、明治21年(1888)この地に建てられました。後に日本銀行本店、東京駅駅舎の設計で有名となる辰野金吾の設計によるもので、明治34年(1901)に渋沢栄一翁が飛鳥山に移り住んだ後は、渋沢事務所として使用されました。

大正12年(1923)9月1日、兜町の渋沢事務所の書斎で所員と打ち合わせをしていた渋沢栄一翁は、激しい揺れに見舞われ建物が崩れる中を無事避難しましたが、同夜、兜町一帯は火に包まれ、事務所は全焼してしまいました。

 

こちらのブログにて、旧渋沢邸の写真が見られます。

「兜町散歩」-渋沢栄一の造った街 by 滅紫 | 中央区観光協会特派員ブログ

 

玄関ホールを左手に進むと、展示会場がありました。入場無料です。 

f:id:massneko:20210328143010p:plain

 

展示室は右奥にも続いています。書簡や証書、写真や錦絵などが見られます。

パンフレットやグッズ販売もありました。

f:id:massneko:20210328143243p:plain

 

展示は「渋沢栄一・赤石フェスタ」という兜町界隈でのイベントの一環でした。

こちらの、平和不動産のニュースリリースで詳細がわかります。2021年4月4日までの開催。

https://www.heiwa-net.co.jp/news/filedownload.php?name=8a21d17bbd8ff70418b00025942870a9.pdf

 

イベント名にもなっている「赤石」は日証館の玄関ホールにありました。 

渋沢栄一が邸宅を建てたときに「縁起石」として当地に設置し、生涯大切にした「佐渡赤石」だそうです。TOUCH OKだったので、触らせていただきました。

f:id:massneko:20210328143215p:plain

 

素敵な階段も撮らせていただきました。

f:id:massneko:20210328143152p:plain

 

踊り場の窓から見た日本橋川。

f:id:massneko:20210328143134p:plain