墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

木城村古墳(山塚原古墳群) 宮崎県児湯郡木城町大字高城

グーグルマップで「古墳」と入力すると、永山古墳のさらに西2kmに木城村(きじょうそん)古墳というピンが立っていたので、 そちらへも行ってみた。山塚運動公園が南に隣接するので見学しやすいのではないかと予想しながら。

 

林道のような細道を上がると駐車場完備の広場に到着。脇の案内板には複数の墳丘が描き込まれていた。

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一段斜面を上がると、ロープで囲まれたエリアがある。 整然と並ぶ木々にまぎれて円墳も!

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古墳の説明板も。23基の円墳が現存とある(確認は31基だそう)

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県指定文化財 木城村古墳(山塚原古墳群)
昭和14年1月27日指定
宮崎県内の古墳群は、西都・児湯郡に最も多く集中しており、西都原古墳群(西都市)、新田原古墳群(新富町)、持田古墳群(高鍋町)などの著名な古墳群が所在する。木城町においても、多数の古墳が散在しています。その分布状況は、百合野(ゆりの)の9基、陣ノ内に1基、岸立(きしだて)に3基、火除牟田(ひよけむた)に4基、岩穴口(いわあなぐち)に3基見られます。ここ山塚原は、小丸川左岸に接する標高75~80mの丘陵の先端近くに径12~13mの円墳が31基確認されています。その内、8基は既に消滅し、23基が現存しています。これらの推定時期は、5世紀~7世紀の間と考えられています。
昭和58年度には、この山塚原で「木城町運動公園広場及び老人福祉農園敷地造成工事」の計画が策定され、工事予定地内には古墳の所在が十分考慮されるため、町教育委員会が主体となり、発掘調査を実施しました。その結果古墳の周溝が14基検出され、その周溝の中から、朝鮮半島より製作方法が伝播した、須恵器、土師器等が出土しました。これらの周溝は、その規模から、周囲の古墳とほぼ同じ規模のものと考えられます。
教育委員会では、この調査結果を受けて協議を行った結果、検出された14基の周溝の内、4基を保存することに決め、史跡として活用することになりました。
木城町内における古墳の調査例は少なく、他には城山公園内に位置する永山古墳(町指定史跡)、九州電力による川原発電所建設に伴う調査が行われた川原木寄遺跡において、鉄剣、刀子を伴う土坑墓などが確認された程度であります。
永年にわたり保護されてきたこれらの史跡には、当時の権力者の魂が眠っていることと思われます。今後とも後世に残していくべく、努めていかねばなりません。
平成15年2月10日 宮崎県教育委員会 木城町教育委員会 

 

墳頂の白い標柱がまさに墓標のよう。

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振り返ると無人のグランド。 この日(3/8)の時点で施設はクローズとなっていたようだ。

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大木を挟むように2基。 

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墳丘に近づけないのが残念、と思っていると…

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囲いの先に枝道が。

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入っていくと背後の畑(?)との間に通路があった。このスペースに墳丘が。 

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その墳丘に上がらせていただいた。標柱には番号はなく、「県指定史跡 木城村古墳 昭和14年1月27日指定」と書かれていた。

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そこから北側には、爽快な景色があった。

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緑の海に浮かぶ島々のようだった。 

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家族のような4基。 

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さきほど見た大木の後ろへと。 

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右手には果樹園側の墳丘群。 

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左手には畑の中の墳丘群。

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目の前の通路にも。

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そこから振り返って。 

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墳丘上に境界線がある1基。

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ここで来た道を引き返した。 

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駐車場の南側のグランドをよく見ると、端っこに土盛りが。 

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標柱もあった。 

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前方後円墳のような印象だったが… 

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そこからグランド方向。古墳群は右手の斜面上。

犬の散歩の方一人とすれ違った。 

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木城町のサイトによれば、現存する墳丘は径12~13mの円墳。現況は「山林」と苗木畑とあるので、緑の海のようなエリアは直近まで山林だったのだろう。

http://www.town.kijo.lg.jp/kyoiku/kijobunkazai/kijomurakohun.html

 

宮崎県のサイトにも説明がある。

http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/2630