墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

御嶽山古墳(遊び塚古墳)・白鍬塚山古墳 埼玉県さいたま市桜区大字白鍬

前回の権現塚古墳の南300m弱に、御嶽山古墳(遊び塚古墳)の印があったので行ってみたが、四周を民家に囲まれていた。

 

民家の駐車場の屋根越しに墳頂を。

 

別の建物の階段の途中まで上がらせていただいくと、御嶽山古墳(遊び塚古墳)の全容が見えた。

 

御嶽山古墳(遊び塚古墳)の60m南に立地する白鍬塚山古墳も周囲を建物に囲まれていた。

 

建物の脇から。

 

反対側(西)に回ると、アパートの先に説明板が見えた。

 

ささっと2枚だけ撮らせていいただいた。

解説によれば古墳西側の発掘調査で周堀の一部(最大幅9m!)が確認され、径30m以上に復元されるとのこと。

浦和市指定史跡
白鍬塚山古墳
昭和46年2月12日指定
白鍬地区の鴨川沿いの地域には、かつて多くの古墳があり、現在も4基の古墳が残っている。白鍬塚山古墳はこのうちの1基で、墳丘は大きく削られてしまっているが、現在残されている部分は径約15m・高さ約3mである。昭和63年に古墳西側の部分で発掘調査が実施され、最大幅9mにおよぶ古墳の周堀の一部が確認された。その結果をもとに墳丘の規模を復元すると、径30m以上となることが判明した。
この調査の際に、周堀の中から数多くの埴輪が出土した。それらの埴輪は5世紀後半の特徴を多く持つことから、古墳の築造もこの時期と考えられる。また、西側の小古墳からは小型の銅鏡も出土している。
5世紀後半の築造時期は、県南部ではかなり早い段階である。荒川下流域における古墳文化の成立過程を解明する上で、白鍬塚山古墳は欠くことのできないものである。
平成10年3月 矢作知英 浦和市教育委員会

 

ここも、草木が刈られて手入れが行き届いていた。

 

さいたま市のサイトによれば、発掘調査での出土物は朝顔形埴輪、円筒埴輪、人物埴輪片など。

https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/003/p000505.

 

昨年秋、さきたま史跡の博物館の企画展「埼玉の古墳3」で展示された様子を、ぶじんさんが写真に撮られていた。

https://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2018/03/19/000000