墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

足利ハリストス正教会・山下りんのイコン 栃木県足利市西宮町

前回のつづき。

今福浄水場からは足利市街中心部へ戻った。スマホ地図で、次に訪ねようと思っていた場所まで徒歩20分と出たので大通りの歩道をタクシーが来ないかと振り返りながら歩いたが、油断した隙に一台見逃し、それっきりで次はなかった。

 

途中で水道山を左手に見ながら。

 

ズームすると水道山記念館の屋根が写った(中央右の赤い屋根)

 

通り沿いにあった板塀の長いお宅。

 

その角には、ほぼ1000年前に出来事が記された石碑が。 

下馬橋(げばばし)古址
寛仁3年(1019)足利家綱公が太宰府天満宮から菅原道真公の霊を緑町八雲神社分祀した年、奉幣のため京都から勅使が下向しました。
このとき、勅使が家綱公の出迎えを受け、馬から降りたところという故事のある橋跡です。足利市観光協会

 1000年後にも語り伝えられるとは勅使も思っていなかったのでは・・・

 

角地を入れて振り返ったところ。

 

通りの向かい側には昭和の面影の濃いお店があった。時間に余裕がなかったので外観だけ。

 

そのまま「通7丁目」の交差点を過ぎると、正面のお宅の脇に教会の塔が顔をのぞかせた。街を歩いていて、周囲を取り囲む色とりどりの山が印象的だった。

 

民家越しにズームで。教会堂は目の前に見えていたが道がなかなかわからなかった。

 

東側の通りに幟を見つけた。

 

周りを民家が取り囲む。

 

足利織姫神社の交差点から400m程の場所になる。

 

細い道を入った先にあった。ドームと壁の黒白の対比が目を惹く。

 

シンプルな壁面。現在の建物は1983年の竣工。

 

教会堂は山下りん作のイコンで知られている。

足利市重要文化財(絵画)
聖画像 11枚
足利ハリストス正教会山下りんの描くイコン(聖画像)によって飾られている。安政4年笠間に生まれた山下りん明治10年、工部美術学校に入学、やがてペテルブルグにイコン修行のため留学し、帰国後もイコンの製作を続けた。イコンは「聖三位一体」図の大作を中心にしべてビザンチン様式のなかに西欧風を加味した美しい画面となっている。昭和58年12月21日指定 足利市教育委員会

 

こちらは教会による解説。

足利ハリストス正教会は、キリスト教の中で最古の歴史をもつ正教(東方正教会)の教会である。東方正教会は初代教会からの伝統、祈祷、教義を忠実に継承し、発祥地エルサレムを含む中近東、バルカン半島地域、スラブ諸国を中心に全世界で2億4千万人程の信徒を擁する。日本には、ロシアの修道士聖ニコライによって1861年に初めて伝えられた。
足利における正教の信仰は、明治11年に始まる。現聖堂は昭和58年に成聖され、同年の「足利市建築文化賞」を受賞。「イリナ山下りん」作になる11枚の聖像画は、市の重要文化財に指定されている。※ハリストス=キリストのギリシャ語発音

 

教会堂の内部。解説を聞いて帰り際に一応撮影について伺うと可とのことだった。

正面の壁(イコノスタシス:聖障)に10点のイコンが嵌め込まれていた。

縦長の4枚が、左から「神使首(しんしゅ)ガウリイル」「生神女(しょうしんじょ)マリヤ」「主・イイスス ハリストス」「神使首ミハイル」

 

中央の扉の6枚。

上段は左から「福音記者イオアン」「福音記者マトフェイ」。中段2枚は「生神女福音」、つまり受胎告知。下段は左から「福音記者ルカ」「福音記者マルコ」となっている。


いただいたパンフによれば、山下りん作のイコンは近年かなりの数が見出されているが、足利にあるものは保存のよい優品で特に注目されているそうだ。

 

テレビ東京の「美の巨人たち」で山下りんが取り上げられた時(2005年)にも、この教会の作品が紹介されている。番組サイトにある山下りんの生涯は非常に興味深い。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/051224/

 

Wikipediaにある略歴も、物語のような内容だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E3%82%8A%E3%82%93

 

頭上にはドームとシャンデリア。

 

右の扉から先は「至聖所」で、聖職者しか入れないエリア。

 

が、開いた扉から「三位一体図」も遠めに拝見できた。

聖障の10枚を合わせた11枚は、すべて山下りんの手によるもの。

 

日本正教会のサイトには山下りん聖像所蔵教会の一覧が記載されている。

http://www.orthodoxjapan.jp/seizou.html