前回のつづき。
上侍塚古墳の見学後、車で10分ほど南に走って那珂川町の、なす風土記の丘資料館へ向かった。箒川を越えると、大田原市から那須郡那珂川町になる。
資料館は「ふるさとの森公園」内にあるが、入口近くにあるそば処・ふれあいの舎で遅い昼食をとった。そば屋さんの隣には復元民家の永森家・小口家があったので、出来上がるまでの時間で見学。
見事な茅葺きの家が並んでいた。 平成2年に移築されている。
広い土間へ。
中へ入って振り返ったところ。
いろりの間の床は鏡のようだった。
広大なお座敷。
座敷のある側の側面。
こちらは別の一棟。
こちらのお宅も広い間口。
高い屋根裏。
法被や蚊帳が架かっていてリアルだった。
蕎麦屋に戻るとちょうど出来上がっていた。とてもおいしかった。
お腹が落ち着いたところで資料館へ。
平成27年4月以前は栃木県立の資料館だったようで、規模の大きな施設だった。
撮影可だがSNS使用は不可とのことで残念だったが、古墳関連の展示が大変充実していた。
駒形大塚古墳出土の画文帯四獣鏡をはじめとする豊富な副葬品、那須八幡塚古墳の出土品や斧などの復元模造品、首長原古墳出土の大刀や玉類などがあり、川崎古墳の横穴式石室の原寸模型(一部カットモデルのレプリカだが中に入れる)まであった。
http://www.nasufudoki.com/info.htm
屋外にあった常設展示案内。
資料館見学後、隣接する北東側のエリアに史跡の印があったので立ち寄った。
説明板には「正庁跡(正倉跡)」とあった。
正庁跡(正倉跡)
この場所は黒色土と黄色土を交互に突き固めて周囲より一段高く構築されています。ここ(基壇)に建てられた建物は桁行6間約27m(90尺)×梁行2間約9m(30尺)の瓦葺礎石建物です。建物跡の周辺より出土した瓦には赤色顔料が帯状に付着していたことから、建物の柱と軒は赤く塗られていたと考えられます。また、瓦の特徴からこの建物が8世紀中頃には建てられていたことがわかっています。
この建物は赤く塗られた瓦葺礎石建物であることから、発見の当初は正庁跡と考えられていました。しかし、正倉跡という説も出され、長い間論争となっていました。その後の発掘調査により、この瓦葺建物のまわりにも倉と考えられる建物群が多数確認されたことから、現在では正倉跡であると考えられています。
なお、10世紀代にはこの瓦葺建物は倒壊し、同じ基壇上に5間×2間の側柱式掘立柱建物が建てられたと推定されます。
那珂川町教育委員会
那珂川町のサイトの解説によれば、以前は「梅曽廃寺跡」と呼ばれたが戦後の発掘調査で、南北200m・東西600mに渡る「郡衙」であったことがわかり国史跡となった。
中央に官衙、西に倉庫、東が郡庁で、南東にはは館か厨があった可能性があるとのこと。
http://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp/23syougai/03bunka/nasukangaiseki.html
今はのどかな田畑。