墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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渡良瀬遊水地 初夏の葦原

前回のつづき。

小山市立博物館から渡良瀬遊水地へカーナビに行き先をインプットしたら、なんと再び野木町ホフマン輪窯へ誘導された。駐車場脇の細い坂道を下り、大型車を入れないための車止めポールの間を慎重に抜けて進んでいくと見晴らしのいい土手の上に出た。

 

※このときは進入禁止の看板等は見当たらなかったので中まで進んでいったが、正式な入口は公式サイトのpdf地図にある遊水地西側の2ヶ所のようです。

総合利用案内 | 渡良瀬遊水地 WATARASE YUSUICHI

 

中央やや右で光るのは先を行く車の屋根。

 

山手線内の半分強、33平方kmの広大な湿地が広がる。

 

少し進むと車の入れないゲートに出た。ゲートの前に車を停められたので中へ入ってみた。

 

くぐった先の橋の上から。

 

葦原が風になびく。

 

その先には谷中湖があった。

 

現在地を示す写真パネル。

 

案内板もあったが往復するには距離があるので車に戻り、北中央エントランスの方へ行ってみることにした。

 

さきほどのゲート前から北に向かうと2車線の道に出て、西へ行くと北中央エントランスに出た。展望台があったので早速上ってみる。

 

東の方向。

 

北側には山塊が遠望できる。

 

西の方向。

 

さらに左に向いていくと谷中湖が見える。

 

南の方向には大型車も停められる駐車場。左奥が旧谷中村になる。

 

展望台を降りて駐車場の南端へ向うと、貸し自転車もあった。

 

旧谷中村エリア。

 

壮絶な歴史がさらりと書かれた説明板があった。 

谷中村について
谷中村は1889年(明治22年)、下宮村、恵下野村、内野村の三村が合併して出来た村で、栃木県の最南部に位置し、渡良瀬川、巴波川(うずまがわ)、思川に囲まれた洪水常襲地帯であった。反面、肥沃な土壌を洪水が運んでくるため農地は全く肥料を必要としない程の沃田とも言われた。
しかし、1877年(明治10年)頃から渡良瀬川上流の足尾銅山より流失する鉱毒により、農作物や魚に被害が見られるようになり、さらに1887年(明治20年)以降には足尾銅山の生産が増大するとともに、その被害は渡良瀬川沿川の広範囲に及んだ。谷中村も例外でなく農作物の立ち枯れや魚の斃死等被害は想像を絶するものがあった。
このため、栃木県出身の衆議院議員田中正造は被害状況を帝国議会で訴え、住民も東京へ上京請願し、1900年(明治33年)の川俣事件、翌1901年(明治34年)の田中正造の天皇への直訴で、鉱毒問題は人々の関心を引くこととなった。被害民の足尾銅山の操業停止要求に対し、政府は原因は洪水にあると判断し、洪水防止策として渡良瀬川の新川開削(藤岡台地を開削し、渡良瀬川を赤麻沼に流下させる)と遊水地設置の政策を決定した。谷中村はその大半が遊水地となることにより、買収は1906年(明治39年)から着手され、それに応じたものは他地へ集団移住を開始し、同1906年7月(明治39年)谷中村は藤岡町に合併させられて法律的に村は抹殺され、事実上の廃村となった。

 

実際に村があった跡を見たいと思ったが、広いエリアを回るには時間が足りなかったので、次の機会とした。

 

渡良瀬遊水地 - Wikipediaにも苛烈な「仕打ち」が書かれている。

渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)は、足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に渡良瀬川下流に作られた遊水池である。2012年(平成24年)7月3日、ラムサール条約に登録された。

渡良瀬川に思川と巴波川の2つの川が合流する地点の湿地帯全体が堤によって囲われ遊水池となっている。足尾鉱毒事件の発生当時は、鉱毒対策が目的で設けられたのではなく洪水防止が目的とされたが、1903年の政府の第二次鉱毒調査委員会が渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白であった。
法令上は、国土交通省が管轄する河川の内部になっている。足尾鉱毒事件から100年近く経った現在では鉱毒は減少し、主に治水と利水のための地域になっている。ただし、減少したのは上流から新たに流れてくる鉱毒の量であって、遊水地の土壌には2010年現在でも銅などの鉱毒物質が多く含まれている。

 

これだけ広い草原を見るのは、かなり昔に北海道へ行って以来か。

季節ごとの美しさがあるようなので別の季節に再訪したい。

毎年3月下旬には大規模な野焼きが行われている。


公式サイトには季節の植物、野鳥、昆虫や棲息する魚が紹介されていた。

渡良瀬遊水地の自然 | 渡良瀬遊水地 WATARASE YUSUICHI