前回のつづき
長須賀の日枝神社から住宅街の道を進むと、その住宅街の中にいきなり金鈴塚古墳が現れる。下の写真の中央の木々の下。
大通り(県道80号)からは一本北側にはいった場所でわかりにくいが、下の写真のラーメン大将の右側の道をはいると、すぐに上の場所に出る。
かつては全長95mの大古墳だったが、現在は石室周辺のほんの一部が残るだけ。
左右を私有地に挟まれている。
それでも立派な石室が残る。
施錠されているが、格子の間隔に若干余裕があり、見事な石組みをフラッシュで撮影できた。
ここから金のすず(直径8ミリくらい)が5個出土した。実物は木更津市郷土博物館 金のすずで見ることができる。
前回2013年4月にも訪れた。
弁天山古墳 内裏塚古墳 金鈴塚古墳 木更津市郷土博物館 - 墳丘からの眺め
説明版は字がかすれ始めている。以下に転載。
金鈴塚(きんれいづか)古墳 千葉県指定文化財 昭和25年11月3日指定
小櫃川下流域の沖積平野を南北に走る俗称長須賀の砂丘上には、かつて大小25基の古墳があったといわれ金鈴塚古墳はほぼその中央に位置しています。
墳丘はほとんど破壊され後円部の一部が残るだけとなったが、復元墳丘95mと推定される前方後円墳です。
後円部中央には南に開口する長さ10.3m程、奥壁幅2.2mの横穴式石室が設けられ、内部には緑泥片岩製の箱形石棺が設置されています。
金鈴塚古墳は、6世紀末に造られた古墳と考えられ、その後しばらく2回以上の埋葬が続けられています。
出土した多数の遺物には、各種金銅製品が豊富なこと、大刀の種類の多いことなどこの古墳に葬られた被葬者の勢力の大きかったことを良く示しています。
出土遺物は古墳時代後期の文化を示す代表的な資料として国の重要文化財に指定され、金鈴塚遺物保存館で公開されています。
昭和58年3月 千葉県教育委員会 木更津市教育委員会
以下は、「房総の古墳を歩く」より転載。
・金鈴塚古墳(二子塚) 前方後円墳◆6世紀後半◆所在地 木更津市長須賀字熊ノ廻430◆全長95m◆方位 N-112゜-W◆前方部幅72m◆後円部径55m◆埋葬施設 横穴式石室(無袖式)全長10.3m 石室主軸ほぼ南北 幅1.5~2m 組合式箱形石棺(石室内中央西側)内法長1.7m 幅0.6m 深さ0.6m 凝灰質砂岩板材◆出土品 人骨3体,三神五獣鏡1,変形四獣鏡1,玉類,金銅製耳環6(3対),横櫛3片,金鈴5,銀製茄子型垂飾6,宝相華文垂飾具1,環頭大刀7,圭頭大刀3,円頭大刀1,方頭大刀1,頭椎大刀2,鳥首大刀3,銅鋺(承盤付2,高台付),武具、馬具、須恵器、土師器◆備考 1950年石室発掘調査(早大),1950年石室発掘調査(早大),1950年県指定,1959年遺物重要文化財指定
石室出口から左側を見たところ。普通の住宅地だが、立っている場所は、かつて後円部の地中だった。
ちなみに、金鈴塚古墳のある「長須賀」の「須賀」とは「川の流れや海流によって堆積した砂地 」を意味するようだ。ヤフー知恵袋からですが。
神奈川県の横須賀が一番有名ですが、全国各地に「須賀」「横須賀」と言... - Yahoo!知恵袋
金鈴塚古墳から南に500m近くに、稲荷森(いなりもり/とうかんもり)古墳がある。
墳丘上の稲荷神社が目印。こちらもかつては80mの大古墳だったが、前方部が一部残るだけになっている。
以下も、「房総の古墳を歩く」より。
稲荷森(いなりもり)古墳 前方後円墳◆所在地 木更津市木更津2丁目(旧木更津字稲荷森)◆墳長約80m◆方位 ほぼS◆周溝楯形◆出土品 鈴2,※刀2,鏡片1,土器1,長巻きの如きもの1(明治14年貸座敷を新設する際出土したという),金銅 具1,武具残片5,鉄鏃片1◆備考 1881年(又は1907)乱掘※鉄刀…刀身残欠1,金銅鐔1,金銅足金物1対,金銅 1,金銅鐺1,鉄製透鐔残片1
石段は鳥居の列ではなく、屋根つき通路の左右に幟が並ぶ形になっている。
そのまま上っていくと、数本鳥居が並んだ先に社があった。
社殿左手にはエノキの大木。
木の根元には、沢山のお稲荷さまが祀られていた。
狭くはない墳丘に鳥居や社殿や大木が所狭しと林立してるが、結構な高さがあって気持ちの良い場所だった。