墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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阿玉台貝塚 まほろばの里 良文貝塚 GW家族墳行④

大クスの後、細い道を下り、谷戸を横断してまた上ったところに貝塚遺跡があった。

・阿玉台貝塚 国指定史跡 縄文時代中期(5500年前〜4700年前)

標高50m近い丘陵の、30〜40mあたりに貝層があるそうだ。明治27年に発掘調査され、出土土器が「阿玉台式」と呼ばれて遺跡の時代を相対的に決めるモノサシ(編年土器)になっている。なお、貝塚の数が日本一多い千葉県では、他に加曽利貝塚や堀ノ内貝塚からの出土土器も編年土器となっている。

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道路沿いに2つの案内板がある。この「縄文の小道」を上がると貝塚となる。

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小道を上がると小規模な墓地があり、その先が梅園になっている。貝塚の痕跡はシンプルな石碑があるのみだった。

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堀ノ内貝塚を訪ねた時は、雑木林の道が貝殻だらけだったが、ここは普通の公園のようだった。

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斜面を下ったところにも梅園が続いている。斜面自体は照葉樹で覆われている。

小道を下ったところに、夕顔観音塚があった。円墳のようにも見えるが位置的には台地の下なので古墳の雰囲気はない。

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案内板によれば、千葉氏の祖、平良文の墓として伝えられ、墳頂に江戸時代の石碑がある。伝説によれば、平良文は子の忠頼に「今より後、子孫はひょうたん夕顔を割って中を見るべし。中に化身あり」と言い終わってなくなり、後ひょうたん夕顔の中から観世仏を見いだし、人々これを夕顔観世音と称した、という伝説があるそうだ。

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 その後、すぐ近くの資料館へ行った。

・まほろばの里 田園空間博物館 9時〜16時 月・火休館

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見たことのある土器の写真があった。この先の良文貝塚から昭和4年に発掘されたものだ。香炉形顔面付土器という3500年程前の縄文後期の土器。用途については不明な点が多いそうだ。一般公開はしていないが、11月3、4日の2日間だけ、近くの豊玉姫神社で公開される。

http://www.city.katori.lg.jp/05sightseeing/kyouiku/bunkazai/b05c.html#Vol-022

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石器から民具まで、さまざまな展示がコンパクトにまとめられていた。

面白かったのは、地元の小学生が調べた「かんぴょうマップ」

かんぴょうは夕顔の実を干したものである。なんと先ほどの夕顔観世音の伝説は、まだ生きており、この地域ではかんぴょうを食べない家が多いそうだ。

それを地元の小学生が家毎に調べてマップにした。赤の丸がかんぴょうを食べない家庭。食べる青より多いことが一目でわかる。すごいぞ小学生。

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近所のみどころマップもつくられていた。わかりやすい力作。

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 ・博物館を出て、近くの良文貝塚へ。この貝塚も次の豊玉姫神社も駐車場はないので、博物館に停めて歩くのがよい。

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扉の窓の向こうに貝層の壁が見えるようになっている。歴史保存会の方々によって作られたそうだ。この場所の地名「海ノ内」の由来も書いてある。利根川河口から20km以上も上流なのに「海の貝」主体の貝。

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施設の先の道路脇には石柱も立っている。

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道沿いに色鮮やかなボケの花。

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良文貝塚のすぐ近くに豊玉姫神社がある。

道路沿いの下記の案内板を、博物館から来て右にはいると神社、左にいくと貝塚になる。香炉形顔面付土器の説明もここにある。貝殻のゴミ捨て場のような場所から、このような「写実的な作品」が出たのだから、大変な驚きだっただろう。

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豊玉姫神社は、道を下ったところから石段を上る(本来のアプローチは台地下からだろうが)ここにも土器の表示があった。

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元は白木の両部鳥居。厳かな境内。

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御祭神は豊玉姫尊。神話「海幸山幸」に登場する竜宮城の姫神で、古来より安産子育て、国家鎮護、海上安全、産業発展の神として信仰されてきた。

由緒には日本武尊の東征が関わる。「(日本武尊は、)つつが無きをもって上陸の後、総国の旧地たる海上郡編玉郷貝塚網ノ岡に綿津見神の姫神豊玉姫尊をお祀りなされた」と。

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このあと、利根川に沿って銚子へ向かった。

続く