墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧東方村 中村家住宅 埼玉県越谷市レイクタウン

旧東方村中村家住宅は、江戸期の豪農の家。以前にBS朝日の「百年名家」という番組で取り上げられていて知った。

http://www.bs-asahi.co.jp/100nen/prg_121.html

 

イオンタウンへ行く機会があったので立ち寄った。

 

駅から徒歩13分とあり、時間の都合で行きはタクシー利用。

敷地の東側に門がある。

 

入館料は一般100円、水曜休館。

100円を納めると、A4版の立派なパンフレットをいただけた。

 

もとは少し北の越谷市大成町・旧武蔵国埼玉郡八条領東方村にあった、東方村下組の名主中村家の居宅。建てられたのは安永元年(1772年)、築250年ほど昔。

下はもとあった場所での写真(パンフより)

 

東方村からは2度移築され、現在地で3年前(2014)から一般公開されている。越谷レイクタウン駅が出来る前は現在の駅前あたりにあって、藁葺き屋根だった。

 

現在は銅板葺き。

 

まるで武家屋敷のように大きな式台(駕籠のまま乗り付けられる表玄関)がある。


式台がある座敷棟。

 

式台の右側には居室棟が連結している。

 

パンフにあった内部の構造図。左が座敷棟、右が居室棟。

 

連結部分の入り組んだ屋根。右側が通常使われる玄関だった。

 

横から見た式台。

 

こちらの施設にはガイドの方がいて、外部・内部を一緒に回って説明して下さった。

敷地の入口の薬医門を内側から。

 

妻側の上部にある懸魚(げぎょ)には波しぶきの浮き彫り。

 

他に1組説明を受けている方がいて、この時は式台から入らせていただいた。 

 

入ってすぐの畳敷きの左方向。

 

奥の座敷の床の間。右側の天袋は白地まっさらだが、外された現物は別の部屋に展示されていた。

 

4人の画家が慶応3年(1867)に描いた「四季草花図」(四君子図)
落款や号から、春の蘭は坂田鴎客、夏の竹は鈴木鵞湖、秋の菊は福島柳圃、冬の梅は目賀田介庵によると考えれているそうだ。

 

その裏面は四季山水図(展示は複製)で4枚とも目賀田介庵の手によるそう。

 

同じ部屋(居室棟奥の納戸部屋)には江戸後期に描かれた「韓信の股くぐり」(中国の故事)の板戸絵も展示されていた。

 

出書院の障子の桟は、繊細な意匠。

 

欄間の意匠も見事だった。右側が座敷、左側が式台。

 

座った位置で座敷方向。

 

座敷の先の廊下には手洗いがある。

 

前は左側になるそう(右の木枠に着物をかぶせる)

 

座敷棟の窓から居室棟側。

 

生活用の居室棟には、土間、納戸と「たまりの間」がある。

「たまりの間」では、床板のつなぎ目や柱のほぞ穴などから、間仕切りの位置が変更されていることがわかると説明を受けた(もとは大黒柱の位置が壁)

「百年名家」でもスポットが当たっていたところ。

 

土間に降りて座敷方向。

 

そこから右手を見ると四角い孔のあいた板壁があった。

 

 

板壁の向こうは後から取り付けられた板の間だったが、主人以外が食事をする場でもあり、四角い孔は人の出入りを確認する覗き窓だったとのこと。

 

土間の屋根裏。茅葺き時代の雰囲気を残している。

 

 

ガイドの方に家の裏に考古遺物の展示室があると聞いたので入ってみると、出土品が並べられたコーナーがあった。

 

なんと古墳時代後期の遺跡からの出土品だった。 

見田方(みたかた)遺跡(所在地:レイクタウン)
見田方遺跡は、昭和41,42年に岡山大学の和島誠一氏指導のもと発掘調査が実施され、現在はその一部を見田方遺跡公園として保存しています。遺跡からは古墳時代の竪穴式住居跡の他に、「はそう」や手捏(てづくね)土器、鏡や勾玉を模した石製模造品など一般的な集落ではあまり見られない祭祀に係る遺物が多く出土したことなどから、昭和51年に埼玉県の重要遺跡に選定されました。

 

すべて、見田方遺跡の出土物。 ここで古墳時代の土器が見られるとは思わなかった。

 

棚の下の引き出しを開けると、石製模造品や勾玉も。

 

紡錘車や石錘・土錘、木製品も。

近接する場所に古墳は見当たらないが、生活域と墓域は離れていたのだろうか、それとも遺跡のエリアは生活域ではない特別な場所だったのか。 

 

展示を楽しんで外へ。実は周囲は住宅街。

 

新築の家が並ぶ。

 

目の前が「レイクタウン湖畔の社公園」

 

すぐ先は、大相模調節池。対岸にイオンレイクタウン(日本一大きなショッピングセンター)がある。

 

湖畔を歩いて振り返ったところ。駅から徒歩で中村家住宅へ行く際はこの道を進む。

 

池(湖?)の南岸は、広い芝生の傾斜地。

 

気持ちの良い水辺だった。

 

 大雨の際には50mプール800杯分(120万㎥)の水を溜めることができる。東京ドームの容積(124万㎥)とほぼ同じ。

 

道路を隔てて南側、越谷レイクタウン駅の北口に広がる草地が、レイクタウン見田方遺跡公園。公園内では遺構は見られないようだった。

 

この後で、巨大なモールを歩くことになってへとへとになった。

自由学園明日館・内観 東京都豊島区西池袋

前回のつづき。

自由学園明日館(みょうにちかん)へは2年前に訪ねたが、外観のみの見学だった。

 

やはり内部を見たくて、このたび再訪。 

 

大正10年(1921)築の重要文化財で、設計はフランク・ロイド・ライト。

公式サイトによれば、帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤新が、友人の羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園の校舎建設にあたってライトに引き合わせた。

http://www.jiyu.jp/tatemono/myonichi.html

低い屋根のラインと深い庇で水平性が強調された様式は、プレイリースタイルと呼ばれる。

 

 

ラウンジホールの窓をズームで。屋根の角度と呼応する斜めのラインが特徴的。 

 

中央棟の左右に教室棟が対称的に配される。壁は木造漆喰塗り。

 

中央棟の背後には、折り重なるように食堂の屋根。

 

前面の芝生が丁寧に手入れされている。

 

内部の見学料は一般400円だが、喫茶付で600円の設定もある。

中央棟の横の入口から中へ。

 

この日は大掛かりな撮影会が行われていた。

 

初めに北側の中二階にある食堂へ。

 

食堂の明かりを支える棒も、屋根の斜度になっていた。

 

折り返すように続く階段で2階(ラウンジホールにせり出したバルコニー)へ。

この中二階的に連なる空間がライト建築の特色でもある。

 

そこはライトのミニミュージアムになっていた。

 

ラウンジホールを見下した眺め。

 

角には大谷石を用いた柱がある。

 

帝国ホテルを飾っていた煉瓦も展示されていた。

 

再び食堂へ。

 

照明器具の細部にまでデザインが統一されている。

 

もう一つ階段を折り返してホール(ラウンジルーム)へ。

 

振り返って見上げるとさきほどのバルコニー。下の奥には暖炉がある。

 

かつての礼拝施設だが、こちらでコーヒーやお茶菓子をいただける。

 

大きな壁面には、高価なステンドグラスを使用する代わりに木製の窓枠や桟を幾何学的に配することで、工費を低く抑えつつ見事な空間をつくりあげている。

 

低い椅子とテーブルで、頭上の空間が大きく感じられる。

 

バルコニーの下や隣接する部屋の天井は低く抑えられていて、空間の高さの変化が劇的に感じられる効果があった。

 

 

室内の階段に使われていた大谷石。 

 

庭の片隅で咲いていた「夏水仙」はヒガンバナ科。

 

サルスベリも咲いていた。 

 

道を挟んで、耐震工事を終えたばかりの講堂。

遠藤新の設計で、昭和2年(1927)築で、こちらも重要文化財。

 

このパーゴラは、まさに加地邸(昭和3年竣工)で見た感じ。

 

 

周囲はまだ工事箇所が残っていたが、この日ここでイベントが行われていた。

コンサートや講演会、結婚式など、多目的に利用できるとのこと。

http://www.jiyu.jp/kengaku/riyo.html

 

次の機会でこちらの中にも入ってみたい。