墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧和辻哲郎邸(旧川喜多邸別邸・鎌倉市川喜多映画記念館内)神奈川県鎌倉市雪ノ下

 前回の石島邸のすぐ先、谷戸を背にした緑の中に目指す建物があった。

 

道路沿いの建物が、鎌倉市川喜多映画記念館。入館料は一般300円。

記念館は、東和映画を興した川喜多夫妻の自宅母屋が建て替えられていて、映画館も備える。

鎌倉市川喜多映画記念館
鎌倉市川喜多映画記念館は、この敷地内にあった旧川喜多邸母屋を、周囲の景観と調和のとれた鎌倉らしい佇まいを楽しむことができる、和風の平屋建に建て替えたものです。
この記念館は、本市における映画文化の発展に資するため設置したもので、映写機能を持った映像資料室、映画に関する資料等の展示室等を備えています。
また、敷地内にある旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)は、哲学者の和辻哲郎(明治22年~昭和35年)が江戸後期の民家を居宅として使用していたものを川喜多夫妻が練馬区からここに移築したものです。
なお、敷地内の遊歩道は、鎌倉らしい緑の中を散策できるように整備したもので、記念館をご利用にならない方でも自由にご散策いただけます。

 

記念館では「映画で巡る世界一周」展が開催されていた。これを目当てに来たわけではなかったが、とても面白い内容だった。

昔懐かしい洋画タイトルが、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、東京など世界の都市ごとにまとめられてスチル写真で示される。

 

目当てに来た旧和辻哲郎邸の開館が10時だったので、一時間近くゆっくり過ごした。

http://www.kamakura-kawakita.org/exhibition/past

 

外部にあった川喜多夫妻の紹介パネル。

映画と鎌倉を愛した
川喜多長政・かしこ
川喜多長政
明治36年東京生まれ。大正12年北京大学文学部を中退し、ドイツに留学。昭和3年に東洋と西洋の和合を意味する「東和」と名付けた東和商事を設立し、ヨーロッパ映画の輸入を行う。
「アスファルト」「自由を我等に」等をわが国に紹介。昭和26年東和映画を設立し社長に就任、かしこと二人三脚で映画による国際交流に尽力。以後、東宝東和会長、東宝取締役等を歴任。フランス芸術文化勲章、藍綬褒章、勲二等瑞宝章受章。昭和56年5月に78歳で死去。
川喜多かしこ
明治41年大阪生まれ。フェリス女学院を卒業後、昭和4年東和商事に入社。同年秋社長の長政と結婚。長政とともにヨーロッパ映画の輸入に携わり、「制服の処女」「禁じられた遊び」等、数多くの名作を紹介するとともに、各地の国際映画等で審査員を務め、映画を通じた国際交流に貢献し、わが国の映画文化の振興に尽力。これらの業績から、勲三等瑞宝章、菊池寛賞、フランス芸術文化勲章、同国家功労賞などを受賞。平成5年7月に85歳で死去。
平成22年3月 鎌倉市川喜多映画記念館

 

”散歩道”から見た記念館。

 

散歩道の奥は普段は立ち入れない。

 

一段高い場所にある旧川喜多邸別邸も普段は閉じている。

この日は、春と秋に2日づつある一般公開日にあたっていた。

http://www.kamakura-kawakita.org/kwkhouse

 

斜面を上がった先の日当たりのよい平地に建っていた。

 

庭から見たお座敷。

 

斜面にあるので眺めが良い。

 

説明板があった。

旧和辻哲郎邸(創建は江戸時代末期)
昭和13年(1938)、哲学者・和辻哲郎(1889~1960)が神奈川家大山の麓にあった古民家(農家)を東京都練馬区に移築しました。さらに昭和36年(1961)川喜多夫妻がこの場所に移築したものです。
川喜多夫妻は、海外から訪れた多くのゲストを迎える場として利用しました。

 

土間の窓。

 

竹の天井。

 

見学は土間からのみ。

 

世界各国の映画人が訪れたのだろう。

 

見学後、振り返っての記念館。

 

 場所はこちら。

 

この後は東に向かい、報国寺の先の旧華頂邸まで、30分弱の道のりを歩いた。