墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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吉屋信子記念館 神奈川県鎌倉市長谷

画家のアトリエを拝見した後は、鎌倉文学館を目指したが、その間にある吉屋信子記念館という表示が気になったので立ち寄ってみた。 

 

住宅街の細道で江ノ電の踏切を渡る。右手奥に和田塚駅。 

 

踏切が鳴り出したので待っていると、電車がぬっと顔を出した。

 

その先、バス通りは観光客で大賑わい。バンクーバーコーヒーなどが入る複合店舗。

 

再び静かな枝道に入り、着いた記念館は美しい塀に囲まれていた。

 

主屋と門と塀が、平成29年に国登録有形文化財となった。

 

タイミングよく一般公開中。GW期間中は毎日だが、他の月は4月の土曜日、5・6月の土日と1~3日、10・11月の土曜日と1~3日しか公開していない。

 

門前に詳しい解説があった。

自分はここに来るまでは吉屋信子(よしやのぶこ)氏を存じ上げなかった。

鎌倉市吉屋信子記念館(吉屋信子旧居)

吉屋信子記念館は、「自分の得たものは社会に還元し、住居は記念館のような形で残してほしい」という故吉屋信子さんの遺志により、土地・建物などが寄贈されたものです。昭和49年に開館して以来、多くの人に親しまれ、利用されています。

 

吉屋信子(1896~1973)
小説家。新潟県生まれ。栃木女子高等学校卒業。在学中から雑誌に投稿。「少女界」の懸賞に応募した「鳴らずの太鼓」が一等に当選した。
卒業後は上京。大正5年から「少女画報」に「花物語」を連載するかたわら、8年「大阪朝日新聞」の懸賞に応募した「地の果まで」が一等当選。ついで「海の極みまで」を「大阪朝日新聞」「東京朝日新聞」に連載して文壇的地位を確立した。昭和2年から3年にかけて「主婦之友」に連載した「空の彼方へ」は好評を博した。「女の友情」「良人の貞操」など、つぎつぎに発表する作品は読者に支持され、人気作家となった。
14年に鎌倉の大仏近くに別荘を設けたが、戦争中はここに疎開し、静養しながら、読書、句作の日々を送った。25年、東京に転居するが、都会の喧騒を逃れて、37年にこの地に新居を建て、没年まで居住した。
晩年を飾る歴史小説「徳川の夫人たち」「続徳川の夫人たち」「女人平家」はここで執筆された(後略)

 

門を入ると石畳。

 

左手の木立の中に土盛りがあるのが気になった。

 

庭木の後ろの建物が見えてきた。

 

初めに庭へ回ってみる。

 

 庭側から見た建物。

昭和37年に元々あった建物が10mほど山側に移築されたが、その際に建物に手を加えたのが吉田五十八(いそや)だったそうだ。

 

シンプルな美しさが感じられる玄関も含め、全体が吉田五十八の作品に生まれ変わっていた。

 

玄関軒下から振り返って。

 

玄関を上がって。

 

天井が途中から斜めになっている。

 

続く応接間の天井も同じく。

 

段違いの長押(?)の処理も同様。左下は作家の肖像。

 

設計者と施主についての解説があった。

設計者 吉田五十八(よしだいそや)
近代数寄屋建築の第一人者
明治27年、太田胃散創業者太田信義の五男として東京日本橋区呉服町に生まれ、母方の実家の用紙となり、吉田姓を受け継いだ。父親の58歳の時に生まれたため、五十八と名付けられる。大正12年に東京美術学校(東京芸術大学)卒業後、吉田建築事務所を開設。大正14年に兄の援助で渡欧後、日本建築の近代化に努め、洋式の生活と両立しうる数寄屋建築を創案する。その後、旧歌舞伎座や吉田茂邸、成田山新勝寺本堂など数々の作品を手掛ける。昭和48年、79歳で死去。

 

施主 吉屋信子
吉屋信子は、戦前に一度、鎌倉に住んでいたが、昭和11年に東京の新宿区牛込に家を建てて引っ越し、再び鎌倉に戻ってきた。生涯で三度(牛込・昭和10年~戦災で焼失)、麹町(昭和25年)、長谷(昭和37年)吉田五十八に設計を依頼している。終の棲家となった長谷の自邸では「奈良の尼寺のような家を」との意向を伝え、設計をしてもらった。

後略

 

横になったら気持ちよさそうな長椅子も五十八デザイン。

 

一続きになっているダイニングのテーブルや椅子のデザインも。 

 

天井の意匠は一続き。左から梁の頭が出ていた。

 

執筆した本の展示。

 

廊下のドアは他のものも含めて大きな一枚板だった。

 

応接間から続く和室。

 

左が応接間。どちらからも庭がよく見渡せる。

 

和室の天井は布張りのようだった。 

 

和室と廊下を隔てての書斎(中へは入れない)

 

北向きの部屋だが天井からの採光があった。ガラス内側には雪見障子の工夫がなされる。

 

廊下の突き当りに寝室。

 

舟底形の天井には照明がない。

作家としての生活では日中に睡眠をとる必要があるので、外光と間接照明のみで最小限の明るさにしたと考えられるのだそう。

長期滞在したくなる家だった。

 

入場無料。

入ったときには先客があったが、 途中からは貸し切り状態(職員の方を除く)になり、とても静かで落ち着いた雰囲気を味わうことができた。