墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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権現堂1号古墳~塚越1号墳 長野県飯田市駄科 古墳と桜の飯田紀行(10)

前回までの竜丘エリアから新川を渡って、飯田古墳群中の松尾エリアへ。最も南にあったのは権現堂1号古墳。

前方部裾側から。後円部墳頂に祠がある。

 

振り返っての南西方向。立派な屋根の家の向こう側は新川が削った谷。

 

前方部上には”権現堂古墳”の石碑が。

権現堂1号古墳は冊子「飯田は古墳の博物館」に写真入りで紹介されている。

墳丘長60mの前方後円墳で、後円部径推定34m・高さ7.4m、前方部幅推定35m・高さ4.6m。武具・冑・馬具・須恵器・土師器・埴輪などが出土していて、それらの出土遺物から古墳時代後期の古墳と言われてきたが、墳形や竪穴系埋葬施設が予想されることから築造時期は5世紀後半と推定されるそうだ。

 

飯田市美術博物館のサイトには、大正11年に竜丘村青年会による後円部墳丘の掘り下げ調査が実施された際に鉄器類・土師器・須恵器などが出土し、その一部は現在竜丘小学校で保管されているとのこと。

https://www.iida-museum.org/kouko/lib/new_page_84.htm

 

なだらかで穏やかな印象の墳丘。 

 

くびれ部から南東方向。田んぼの区画は高低差に従っている?

 

グーグルアースで。墳丘の左側は宅地。 

 

後円部上から前方部方向。

 

墳頂の祠に参拝。

 

後円部から先、北東側の眺め。

 

ズームすると仙丈ケ岳。

 

登ったのは5年近く前。再訪して、飯田の街を眺めたい。

 

権現堂古墳の500m真北には塚越1号墳がある。

墳裾にはお堂のような建物。

 

後ろに回ると墓石と墳丘への手摺りが。

 

つかまると壊れそうだったので、触れずに上る。

 

墳頂の様子。後円部から前方部側。

 

後円部の先の眺め。

 

パノラマで。

 

ズームで。

当墳も「飯田は古墳の博物館」に記載があり、推定全長72.2mの前方後円墳で、後円部径26.4m・高さ7.8m、前方部幅15.5m・高さ7.8mで6世紀後半の築造。両袖式横穴式石室が開口するが「現在は土砂が流入して入ることはできません」とあった。

 

墳丘を北側面に沿う道から。

 

パノラマで。左が後円部、右の前方部は宅地で削られる。

 

後円部を裾から。

 

畑越しに南側から。

現地では気づかなかったが、後円部下の横長のトタン板が開口部を覆っている。

「古墳のお部屋」を主催する平家蟹さんは6年前に入室されている。腹這いで入られた先には…

https://kofunoheya.blog.fc2.com/blog-entry-1226.html

 

そこからは、北に1.5kmの道のりで「くよとの枝垂れ桜」を目指した。 

 

マップに記されない桜も見事。

 

国道151号線、毛賀沢川を渡る北岸で。

 

石段を上がり、祠にお参りして振り返る。 

 

その先で左折して枝道へ。少し上ると毛賀諏訪神社。石段下から一礼のみ。

 

そこから「くよとの桜」への道は地形に沿って斜面中腹をなぞっていて、いにしえの雰囲気があった。

 

枝道の上から溢れる桜。

 

三色コーナー。

 

一里塚跡も。

 

その背面は、この景色。

 

ズームすると左に仙丈ケ岳、右に顔を出す3つの雪山は左から北岳・間ノ岳・農鳥岳。

 

そこから200mほど北に、枝垂れ桜のトンネルがあった。

つづく。