墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

東大寺山古墳(及び東博の国宝出土品展示) 奈良県天理市櫟本町

ウワナリ塚古墳の見学後は、1.3km北西、岩屋谷の対岸の東大寺山古墳へ向かった。

櫟本町東方の丘陵地は中世は東大寺の所領だった。奈良の寺領は興福寺のものが多かったので、”珍しかった”東大寺領の名前の方が今も残っているそうだ。

 

東大寺山古墳は天理教城法(しろのり)大教会の敷地内にある。

(なので見学には許可が必要)

 

丘の上だがバスで登ってきたので楽ちんだった。

 

目指す墳丘は、大教会の北東斜面の上。 

 

上り口の脇に説明板。

東大寺山古墳
標高130mの丘陵に造られた北向きの前方後円墳。全長140m、中腹とすそに円筒はにわ列が、また墳頂部に形象はにわが並んでいた。
主体部は粘土槨にて南北12m、東西8m、深さ約3.7mの墓壙の底に、砂礫と粘土で丁寧な棺台を設け、長大な木棺が粘土で覆うようにして安置されていた。昭和36年初め、鍬形石27・車輪石26など多数の碧玉製品・滑石製品・鉄刀剣などが掘り出されたのを機会に、同年9月から翌年1月におよぶ発掘調査の結果、主体部は殆ど盗掘されていたが棺外側から鉄刀9・鉄槍10・銅鏃・革製短甲・巴形銅器・玉類等多くの遺物が発見され重要な学術資料を提供した。
なかでも鳥形飾銅製環頭をつけた一ふりの鉄刀からは「中平□年五月丙午造作・・・」と、金象嵌で記した銘文が見出され、中国後漢末の中平年中(184~189)に製作されたことが明らかとなった。
これは紀年銘のある金石文では、我が国最古の違例であるばかりでなく、卑弥呼が魏王から下賜された五尺刀二ふりに当るのではないかという学説も出されている。
なお、出土遺物は一括して国の重要文化財に指定されていて東京国立博物館に保管されている。
天理市教育委員会

 

文化財課の方の後について斜面の階段を登る。

 

頂上に円形の広場があった。

 

登ってきた南側を振り返って。木々の後ろが天理教の教会建物。

 

この、周囲を竹林で囲まれた広場が後円部の墳頂だった。

東大寺山古墳は、ほぼ南北を主軸とする前方後円墳で、後円部が南側、前方部が北側にある。墳丘規模は全長約130m・後円部径約79m。

 

墳頂の中心から見上げた空。 

 

墳頂の西側に凹んだ区域があった。 

 

昭和36年(1961) この場所で地元住民が作業をしていたこところ多数の刀剣類や石製品が出土し、天理参考館が発掘調査を行うと粘土槨の埋葬施設が見つかった。中の木棺はもともとの長さ6~7mのコウヤマキ製と想定され、棺内からは玉類、腕輪形石製品・坩形石製品、粘土槨の両側からは鉄刀・鉄剣・鉄槍・矢束、粘土槨の南側からは革製の短甲と草摺など、多種多様な副葬品が見つかり、現在国宝に指定されている(いただいたパンフより)

その調査によって、東大寺山古墳の墳丘は上下2段築成であることもわかり、後円部東側中段の平坦面と下段斜面裾で円筒埴輪列が見つかったことにより、当初の墳丘の規模が判明している。15ヶ所の調査区から見つかった円筒埴輪の数は約100個!

 

そこから西側は急に落ち込んでいて柵が付けられている。

 

北側へ延びる緩斜面が前方部だと思われるが、墳丘の形をつかむことは難しかった。

 

後円部の西側は竹の密生度合いも低く、降りて行けそうな雰囲気もあった(が、ツアーなので覗いただけ)

 

墳丘を少し降りて木々の間からの眺め。

 

ズームで見えたのは櫟本(いちのもと)の町。

 

麓に下りて遠望した東大寺山。中央の高いところが東大寺山古墳の後円部。

この後、右手の木立の中にある和邇下神社古墳へと向かった。 

 

 

このツアーの後で上野の東博へ「お花見」に行った際、考古展示室で東大寺山古墳の出土物を見ることができた。

 

こちらがその一画。

 

下部が鍬の刃のような形をした穴の開いた石は、腕輪形石製品のなかで最も格が高いとされる鍬形石。東大寺山古墳からは国内最多の26点以上が出土した。

 

腕輪形宝器には鍬形石のほかに車輪石や石釧(いしくしろ)がある。近畿地方の古墳から多く出土する副葬品だが、関東にも例は散見される。

 

こちらは「家形飾環頭柄頭」 竪穴住居が表現されている。

下記はその解説文。

中国の素環頭大刀をモデルにした日本列島独自の青銅製環頭です。切妻造伏屋建物(竪穴住居)は、家屋文鏡や子持家形埴輪以外には例がない独創的な造形です。通常の竪穴住居とは異なる重要な建物であり、集会所や喪屋であるという説もあります。

 

そしてやはり主役は、日本最古の出土銘文刀剣である「金錯銘花形飾環頭大刀(きんさくめいはながたかざりかんとうたち)」

 

刀身の棟に刻まれた金象嵌の24文字に「中平」の文字がある。「中平」は後漢霊帝時代のの年号で西暦184~190年に相当し、刀身部の特徴から中国で制作された鉄刀であると想定されているそう。

およそ1830年前に刻まれた文字!

「中平」の時代の日本列島は弥生時代後漢書東夷伝倭国大乱があったとされる時期。

東大寺山古墳から出土したこの副葬品は、確実な紀年銘を持つ国内最古の資料だった。

 

その柄頭部分。

 

 その他の副葬品。上は車輪石、右下は石製坩(かん)

 

精巧な模様が彫られた「石製台付坩」

 

これは「筒形石製品」 触ってみたくなるような滑らかな曲面だった。