墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蒔田の丘・龍祥山勝国寺界隈 神奈川県横浜市南区蒔田町

前回のつづき。

三殿台遺跡の入口あたりの地面に、周囲の散策路を案内するタイル板が貼られていた。

「虹のプロムナード・蒔田(まいた)の丘」約1.8km

 

出だしで方向を間違えたので、スマホマップで勝国寺を目指した。

このあたり、途中で行き止まりになる階段が多い。

 

大きなマンションのある方向へ一気に降りる。

 

途中で枝道に入って。

 

さらに降りる。

 

下まで降りて見上げたところ。

 

そこから北に200mほど行くと丘の麓に勝国寺。

 

満開だったのはカンヒザクラか。

 

現在の本堂は関東大震災での倒壊後、昭和4年(1929)に建立されたようだ。柱の獅子や象の彫刻が見事だった。

 

由来を刻んだ石碑。

龍祥山勝国寺由来
此の地は小田原北條氏綱の女婿吉良左兵衛の城跡であった。龍祥山勝国寺は、文明11年吉良左京大夫政忠の開基である。政忠は文亀2年6月17日此の地に卒し墳墓は之を証し法名は勝国寺殿昭岳道旭大居士と称す。名を勝国と改めたにより寺号とする。
五輪の石塔有り。高さ二尺五寸。正面に祖師西来の字を刻してある。五輪の石塔四基あれど文字無く政忠の孫左衛頼康も当寺に葬りしといへば四基の中にあると思慮せられる。

 

別の場所に横浜市教育委員会による解説板が2つあるようだが見そびれてしまった。

 

境内の一画に社を載せた築山があって気になった(が古墳ではないようだった)

 

勝国寺参拝後、その北側の坂道を上って振り返ったところ。太い桜の並木があった。

 

三殿台の案内タイルに「ここより東側の眺めがよい」とあったあたり。

 

階段を下りた先に広がっていた眺め。

 

丘の上の道に戻って道なりに左にカーブしていくと、右手に「百段階段」への入口があった。

 

三殿台のタイルには「ここからの眺めがイイ」とあったが、目の前に大きなビルが建っていた。左右の敷地も正面のビル群も同じ宗教法人の建物だった。

 

段数は数えなかったが、高低差のある長い階段だった。

宗教法人の建物の先に、横浜市営地下鉄ブルーラインの蒔田駅がある。