前回のつづき。
香取神社を訪ねた後は、200mほど南の清水坂公園へ。
親水施設で遊ぶ子供たちで賑わっていた。流れは人工のもの。
広い芝生の斜面もある憩いの場。
斜面の裾には古代の遺跡、ではなく、水の湧く(湧いていた?)ところをモニュメンタルに仕上げた場所。周囲に鎖があって中へは入れない。
公園の案内図。ビジターセンター東側の池が、自然湧水らしいです。
公園名にある清水坂は、埼京線を挟んだ東側にあったようでした。
https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/nishigaoka/shimizu.html
清水坂公園の北西端斜面には、つづら折りの導水路が。
脇の階段から台地上へ向かいました。
上の平地は住宅街。
その先にスリバチ地形もありました。清水坂公園の西側。
お椀のような地形がよくわかるエリアでした。
その北側で、細道を入ったり。
再び坂を上がりました。
坂の名は野間坂(のまざか)
野間坂
この坂道の名前は、大正・昭和前期に活躍した出版事業家で、講談社の創立者でもある野間清治氏(1878~1938)の旧別邸前の坂だったところから由来しています。現在、野間氏の旧別邸跡地は北区立稲付公園となっており、区民の憩いの場として親しまれています。
旧野間家別邸跡が稲付公園となっていました。
公園の様子。
三方向が崖の、舌状台地になっています。南側。
北側の向かいには香取神社が見えました。
神社からは、トントトンというお祭り太鼓が鳴り続けていましたが、谷歩きで丘の影に入ると静かになったので音で位置関係が把握できたかも?
稲付公園を北西側に出て、民家の間を北へ行くと坂道分岐。
右へ下る道が鳳生寺坂(ほうしょうじざか)でした。
鳳生寺坂
この坂は、鳳生寺門前から西へ登る坂で坂上の十字路まで続き、坂上の旧家の屋号から六右衛門坂とも呼ばれます。坂上の十字路を右(北)へ向かうと赤羽駅西口の弁天通り、左(南)へ向かうと十条仲原を経て環七通りへと至ります。名称の由来となった鳳生寺は、太田道灌の開基と伝えられ、岩淵宿にあったものを移したので、現在も岩淵山と号しています。
坂下の鳳生寺。
墓地は稲付公園の北西斜面下にありました。
湧水があったことを示す水路の跡も。
山門を背にして再び上り階段へ。
階段上から振り返って。正面奥に鳳生寺の屋根、その背後の丘が稲付公園。
そこから西へ崖に沿った道を。
真新しいコンクリ壁。
進んでいくと蛇坂の上に出ました。三岩通りの東端。
蛇坂
この坂は蛇のようにくねっているところから名がついた。蛇坂とその西にある市場坂の谷を北谷といった。谷の奥にわき水があり、釣り堀があった。夏の夕暮れどきこの谷を埋め尽くすほどヤンマが飛び交い、この坂でとんぼ採りをする子供たちで賑わったという。
一行は蛇坂を途中で左に降りて、”北谷”へ。
右奥のマンション手前の緑地へ向かいました。
後日再訪して撮った眺め。
そこから北に伸びる蛇坂。
三岩通りに戻って、蛇坂の一本西側の坂(左の道)を。
蛇坂標柱に説明のあった市場坂か。
もう一本西側の坂。
さらに一本左の坂には、勾配20%の標識があった。
蛇坂に戻って、くねくねと進む。
その先で、再び左に降りる階段。
その背面には蛇坂を挟んで上り階段が続いていました。
住宅の間から顔を出す崖面。
坂を下りきった辺り。正面は赤羽台の台地です。
振り返っての蛇坂。
”谷底”のバス通りで、廃屋的な旧商店。
通りに沿って西へ行くと、川跡の細道が。
ツアーで一行はここに入って緑地(赤羽自然観察公園)へ向かいました。
つづく。