墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

那須八幡塚古墳 栃木県那須郡那珂川町吉田

前々回のつづき(吉田富士山古墳と投稿が前後してしまいました)

 

那須八幡塚古墳は、駒形大塚古墳の南東に2kmの那珂川沿いの段丘上に立地し、吉田富士山古墳と共に那須八幡塚古墳「群」を形成する。

さらに、那須八幡塚古墳群はすぐ北に連なる20基ほどの吉田温泉神社古墳群や先の駒形大塚古墳と合せて「那須小川古墳群」と呼ばれ、合せて国史跡の指定を受けている。

 

国道294号沿いの小さな標識を従って農道のような細道を入ると、整った墳丘が近づいてきた。

 

手前(西)側に前方部を向けた前方後方墳。 

 

解説板が2枚あった。

国指定史跡 那須八幡塚古墳
那須八幡塚古墳は、那珂川に注ぐ権津川を東南に見下ろす右岸段丘縁に立地する西向きの前方後方墳である。前方部は宅地となり墳丘を失っていたが、平成3年冬の墳丘周辺の調査によって全長62m、後方部墳丘幅31m、同高6mの、葺石をもつ古墳であることがわかった。この古墳の前方部の最大幅は17mで、先端の両隅はいくぶん切り落とされた形を呈している。また、墳丘裾には削り出しによるテラスが墳丘をとりまき、その外周には不整形な周湟をもつことも明らかになっている。
昭和28年の発掘調査では、後方部墳頂下1mのところに、東西の両端に粘土塊をもつ木棺とい推定される埋葬主体が発見され、その東寄りから鏡面を上にした夔鳳鏡(きほうきょう)などの副葬品が朱に覆われて出土し、東枕の後向きの埋葬とわかった。
遺物は主体部から、夔鳳鏡のほかに、短剣、鋸、鉇、鉄斧、けずり小刀、間透などが出土し、周湟からは有段口縁壺や高坏、器台、異形土器などの古式な土師器が出土し、共に古墳時代前期に位置付けられる。
これらの発見から、この古墳は古墳時代前期の中でも初期の段階に築造されたことがわかり、駒形大塚古墳と共に那須地方はもとより、関東地方における出現期の古墳を代表する前方後方墳として挙げることができる。
那珂川町教育委員会

 

実測図部分のアップ。

 

もう一枚は復元整備についての説明。

那須八幡塚古墳の復元整備について
概要
整備は、平成3年度の発掘調査の成果に基づいて失われていた古墳の前方部や後方部の一部に盛土を行い、当時の大きさ・形に復元しました。
墳丘は表面の保護や崩落防止のため芝を張り、また古墳の周辺を巡る周湟は玉砂利による表示を行っています。

埋葬のようす
後方部の墳頂平坦面には、東西8.7m、南北4.8m、深さ1.2mの墓壙と呼ばれる穴が掘られ、その底面には、東西両端を粘土塊の上に乗せた長さ6.5m以上の木棺の痕跡があり、ここに死者が葬られていたようです。
亡骸とともに副葬された豊富な品々やそこに認められた水銀朱の存在からこの古墳に葬られた主の権力や葬送の手厚さを感じることができます。
今回の整備では、埋葬部分を玉砂利で表示し、木棺両端にあった粘土塊の位置を石であらわしています。

 

墳丘は、くびれ部から前方部先端に向かって上がっていく形になっている。

 

前方部上から後方部。

 

後方部の墳頂。長細い白い石は埋葬施設(木棺)の両端にあった粘土塊の位置を示している。

埋葬部分全体も玉砂利で示されていると書かれていたが、砂利の位置は広がってしまっているように感じた。

 

後方の左上の隅。

 

竹薮の先の崖下には那珂川が迫る。

 

なす風土記の丘資料館のサイトによれば、築造されたのは4世紀中頃。1600年以上もの間、浸食されずによく残った。

http://www.nasufudoki.com/siseki.htm 

 

後方部墳丘から北方向。川に沿って繁みがあるが、ここに古墳も連なっている。

 

上記から少し左に目をやったところ。墳丘の北側に広がる田畑。

 

後方部から前方部、西の方向。

左は吉野工業所那須小川工場の敷地で、中に吉田富士山古墳がある。