墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新堀(浜町川)跡 東京都中央区日本橋小伝馬町~日本橋浜町

前回辿った龍閑川(跡)は「東京時層地図」のアプリで昭和戦前期まで確認できた。

左の中程から右斜め上へ向かう青い筋。

http://www.jmc.or.jp/app/ipad/tokyo/

 

 

同じ地図を少しズームアウト。

旧龍閑川は別の水路に突き当たりって北北西に神田川、南南東に隅田川と合流する。

 

「こちずぶらり」アプリ(無料)で。

1844年の江戸古地図で水路が確認できる(左中ほどから右上に上がり、右下に曲っていく青い筋)

http://www.atr-c.jp/burari/product/oldmap/chizuburari.html

 

今回のエントリでは、龍閑川の突き当りから右下の浜町に至る水路、新堀(浜町川)跡への1.5kmほどの紹介。

 

今回はお店も。

龍閑児童公園の近くにあった「十六文そば七」

https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13042147/

 

ビールセット900円に惹かれて入ってしまったが、なんと大瓶がついていた。おつまみはこの他に鳥唐も。

 

川跡に戻って南南東へ。

 

店のすぐ裏手になっておいしそうな匂いがしたので、表側に回った。

「ともすけ」では別の機会で食事をしたが、ワインも料理も雰囲気も素敵な店でした。

https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13040915/

 

裏道に戻ってその先へ。大きな通りを越えながらも細道はまっすぐ続く。

 

道を渡っても裏道。

 

細道は都有地で、東京都下水道局の管理。

 

自分が水になったような気分。

 

峡谷のような場所。

 

長屋の雰囲気が残る場所もあった。

 

その先の大通りから振り返って。長屋の向かい側は既に更地。

 

水路跡の更に先には屋根付きのところも。

 

この先、水路跡上に「日本橋休日応急診療所」が建つ。

 

上の写真の左の家並みの表側に回ると、ここも魅力的な一画。

 

応急診療所建物の先は久松児童公園。

 

久松警察署前の大通りを渡ると、水路跡が公園に。右が人形町、左が浜町。

 

勧進帳の弁慶像の前を通過。

 

春は見事な桜並木。

 2年前の春、この辺りを歩いた。

massneko.hatenablog.com

 

新大橋通りを越えると、水路跡上は首都高の出口になっていた。左のビルは47階建ての「トルナーレ日本橋浜町」

 

首都高6号向島線をくぐった先、隅田川との合流点には東京都下水道局の箱崎ポンプ所があった。