墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

中里の富士塚 東京都清瀬市中里

前回のつづき。

この日の目的地のひとつ、中里の富士塚へ。 

富士塚は北側を流れる柳瀬川に向かって傾斜する台地の縁にある。南側から来たので、斜面下の入口へ回り込んでいった。 

 

樹林の間から堂々とした山塊が見えた。

 

右端の小道を下ってきた。

 

参道から富士塚と向かい合う。 

 

清瀬市による説明板。9月1日に催行される「火の花祭り」の写真が綺麗。

清瀬10景 中里富士山
中里富士山は、富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
毎年9月1日には、ここで、東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」が行われます。
この行事は、講中富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。
清瀬市

 

東京都の有形民俗文化財にも指定されていて、都による説明板もあった。

東京都指定有形民俗文化財 中里の富士塚
所在地:清瀬市中里4-1132
指定:昭和60年3月18日
丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。文政8年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。明治7年(1874)に2m程かさ上げされ、周囲よりの高さは約9mである。
北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中1合目から9合目までを記した小さな石柱がある。山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、富士山五合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。少し下った先には、富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路で詣でる「道了大薩埵」の碑が建つ。
富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。なお、講に関する中里丸嘉講関係資料が附として指定されている。初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。
平成23年3月建設 東京都教育委員会

 

清瀬市のサイトには文政8年(1825)に築かれたと記されている。

http://www.city.kiyose.lg.jp/s058/map/020/110/20160701112201.html

 

鳥居の先にはつづら折りの登山道。

 

お地蔵様と庚申塔が拝された山麓右側。かつてはこのあたりに胎内めぐりを模した横穴も掘られていたそうだ。

 

庚申塔は享保19年(1734)のものだった。

 

チビッコへの御触れ書き。

 

ちょうど登山道に日が射す時間帯だった。

 

御嶽神社の石碑。 

 

山頂の奥宮へ参拝。

 

山頂から見下ろす登山道。9mは結構な標高差。

 

木々が繁っていて遠望はなかった。

 

すきまをズーム。

 

溶岩ではなく土で築かれた塚なので、古墳の雰囲気がある。斜面には小さな祠が点在。

 

大勢の名前が刻まれた大きな講碑があった。

 

 馬頭観音と刻まれた碑には文化6年(1809)と刻まれていた。

 

ここへ来て、9月1日の火の花祭りも見たくなった・・・

登山道には108本の明かり(蝋燭)が灯されるそうだ。清瀬市のサイトには”お焚き上げ”の写真もある。

http://www.city.kiyose.lg.jp/s004/050/020/020/050/20150625212048.html

つづく。 

 

※追記 9月1日の火の花祭りの様子も載せました。

massneko.hatenablog.com