前回のつづき。
新座市立歴史民俗資料館の見学後、東に4kmほどにある中里の富士塚(練馬区)を訪ねた。
以前購入した「大江戸のお富士さん」にも掲載されていて気になっていた場所。
東武東上線と西武池袋線との中間を横に移動するので、スマホを頼りにバスを乗り継いでみた。
新座高校前から新座栄に向かう途中、通り沿いに胡蝶蘭の直売所があった。販売所も兼ねていてハウスの中を見せていただいたが、見事な胡蝶蘭が何列も咲き誇っていて実に壮観だった(撮影は不可)
大通りを東に歩いていると、黒目川の南に県立新座高校。ダンス部が強いようだ。
黒目川に架かる「市場板橋」を渡って振り返ったところ。左は妙音沢特別緑地保全地区。ここでは1998年に新種の桜が発見されている。
http://www.city.niiza.lg.jp/soshiki/22/sakuranonamae.html
市場板橋から下流(北)方向。
この先は朝霞市になるが、6kmほど下流、新河岸川と合流する手前に柊塚古墳がある。
その先でバスの乗り継ぎを間違えたりしながら、和光市南のバス停で降り、住宅地を南に10分ほど歩くと台地の端に出た。
ちょっとした展望台が設けられている。
200mほど先に白子川が流れる。川は上流1kmほどで関越道の大泉ICの下をくぐっている。
斜面の上部は竹林の公園。
富士塚のある八坂神社のすぐ裏手だったが、境内への道はなく、一旦階段を下りて回り込んだ。
下から見た階段。
ぐるっと回ると八坂神社の参道。
交差する路地にはまだ雪が残っていた。
扁額のある鳥居。
次の鳥居をくぐり社殿への階段を登る。
イチョウの大木の横を通って拝殿へ。
参拝して振り返ったところ。
社殿の東側に大きな富士塚があった。
高さ約12m、直径約30m。斜面を利用して築かれている。
説明板によれば、明治初期の築造だが、江戸期に原形があったと思われるとのこと。
八坂神社と中里富士
当社は旧橋戸村の鎮守で、祭神は須佐之男命です。いつの頃か、京都八坂神社(祇園社)の分霊を勧請して創建されました。祇園社の守護神は牛頭天王であり、この辺りの字を「中里」といったので、村人からは「中里の天王様」と親しまれてきました。
境内末社には稲荷神社・浅間神社・御嶽神社が奉祀されています。額堂には江戸時代からの絵馬が数多く奉納されています。またむかしから、境内の樹木の枝を折ると熱病にかかるという言い伝えがあります。
中里の富士塚は、南側の基部からの高さが約12m、径が約30mあり、区内最大規模の富士塚です。明治初期に講中によって築造されたといわれていますが、文政5年(1822)の石碑があることから江戸時代すでにその原形があったと思われます。合目石に沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は区内で唯一のものです。毎年8月1日に山開きが行われます。
○中里の富士塚(平成2年度 練馬区指定文化財)
平成21年3月 練馬区教育委員会
石碑も多く立つ。
登山道を登らせていただく。
一合目の合目石の隣には御室浅間神社の碑。
参道が折り返すところに合目石が置かれる。
五合目には経ヶ岳の碑。
山頂の祠。北側は斜面上なので2階屋ぐらいの高さ。
それでも、上に立つと遠望がある。
祠の後ろは剣が峰の碑。
南側の眺め。
登ってきた九十九折りの登山道。
右手(西)の繁みの先に八坂神社。
下山して再び見上げる。
富士浅間神社の鳥居の先から。
別荘橋のバス停あたりから見た八坂神社の森。
別荘橋のバス停からは光が丘駅行きに、いいタイミングで乗ることができた。
「中里」がつく富士塚は清瀬市にもある。 どちらも大きくて迫力があった。