墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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清瀬市郷土博物館 東京都清瀬市上清戸

前々々々回のつづき。

中野坂上駅から大江戸線を使って練馬駅で降り、西武新宿線に乗り換えて清瀬駅へ向かった。

目指す「中里の富士塚」の近くに清瀬市郷土博物館があったので立ち寄った。

駅の外に出ると1番のバスが停まっていて、乗るとすぐに発車。2つ目が「博物館前」だった。

並木道が見事だったが、後で「清瀬市10景」のひとつと知った。並木のけやきは約200本になるという。

http://city.kiyose.lg.jp/s004/050/010/010/020/hpg000001026.html

 

 枝道に入ってすぐ、周囲に木々を繁らせた博物館の建物があった。

 

昭和60年に、都内では数少ない市立博物館として、そして「見て・触れて・体験して、さらに新たな市民文化を創造していこうと全く新しい形」の博物館として開館した。

http://www.city.kiyose.lg.jp/s058/020/010/010/010/hpg000004102.html

 

博物館の前は市民農園になっていた。

 

入場は無料。

大きな展示室が2つあり、ひとつは地質時代から江戸期までを広く扱う。

 

野塩前原東遺跡から出土した縄文中期の土器。加曾利式、勝坂式など様々なタイプがある。中央は石棒。

 

こちらも両方とも勝坂式(縄文中期、野塩前原東遺跡出土)

 

こちらも、同遺跡・同時期の勝坂式縄文土器。見事な模様。

 

古墳時代の遺物はほとんど無かったが、下宿内山遺跡出土の瑪瑙製の勾玉や滑石製の管玉(下段)が展示されていた。

 

古代武蔵野の古道マップが興味深かった。
上下に太く黒い線で記された古代東山道の国分寺のすぐ北の黒丸、東村山のあたりから右上の氷川神社へ向かう道がある。縄文期の遺跡に沿うようにルートがあるということは、遥か昔から人が行き交う道があったのか。

 

大規模な展示は、天保8年(1837)「伊勢西国道中名所覚帳」の行程。

今見ても魅力的な周遊ルートになっている。

 

もうひとつの部屋は民俗資料中心の「新編清瀬風土記」

 

農具や戦時中の資料など。

 

明治初期から和服用の外套として着られていた「インバネス(二重廻し)」

もともとスコットランドのインバネス地方で用いられた男子用のケーブ付袖無し外套を和装化したもので「とんび」とも言われたそう。

 

昭和初期の民家の居間がセットのように再現されていた。

 

砲弾に隣り合うように黒電話が。

 

ワープロ(シャープ製)や「PowerBook G3」も展示品に。

 

携帯電話も展示ケースに入る時代。

宿題のテーマであるのか小学生3人組みが熱心に見て回っていたが、スマホ世代の彼らにとっては生れる前に使われていた古いものになるのか・・・

 

一回りして外へ出るとお隣に魅力的なそば屋があったが、まだ準備中だった。

 

 

中里の富士塚へは、博物館から北へ徒歩8分。

 

畑があったり、造成中の道路があったり。

 

台地の端に、富士塚らしき緑があった。

つづく。