墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東叡山 寛永寺 特別参拝

今年1月に寛永寺を訪ねてエントリに載せた際に公式ホームページで特別拝観のことを知り、4月29日の回を申し込んでいた。

月に2,3回、普段は非公開の葵の間(徳川慶喜が蟄居していた間)や霊廟(5代綱吉、8代吉宗、13代家定とその正室の天璋院)を拝観できる。 

特別参拝のご案内 | 東叡山 寛永寺 公式ホームページ

 

2ヶ月前の月初から申し込み受付。現時点(5/1)で当月と6月は受付終了だが、7月で受付中の回がある。FAXか現地申込。当日に一人千円以上の”お気持ち”を納める。

 

はじめに根本中堂にて参拝者全員で般若心経を唱えた後、寛永寺の由来や増上寺との関係、ここに葬られている方々、戊辰戦争時に葵の間に蟄居謹慎した徳川慶喜などについて興味深い解説を伺った。

お話の上手なご住職で、家康や当寺を創建した天海僧正、五代綱吉や八代吉宗などの歴史人物をリアルに感じることができ、霊廟を前にした時には”実際に直接知っている人”を墓参しているような気分になった。

小学生のお子さんを連れた方もいらしたが、”歴児” には記憶に残るいい機会となるのではないか。

 

堂内や霊廟は撮影不可で紹介できる写真はないが、公式ホームページに吉宗公の御宝塔が載っている。

 

こちらは根本中堂から御霊廟に移動する際に見えた葵の間の建物(右奥・大正期の再建)

 

御霊廟への入口。

 

入口柵の隣の徳川綱吉霊廟勅額門は重要文化財。霊廟エリア内、綱吉の宝塔の前に青銅製の豪華な門があったが、綱吉の霊廟にはかつて6つの門があったそう(2つが現存)

 

唐破風の下をズーム。

 

説明板があった。

徳川綱吉霊廟勅額門(重要文化財)
台東区上野桜木1-16
五代将軍綱吉は、延宝8年(1660)5月に兄・家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永6年(1709)1月10に63才で没した。法名を常憲院という。綱吉ははじめ、善政を行い「天和の治」と賛えられたが、今日では「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名。
元禄11年(1698)9月、この綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立された。造営の奉行は柳沢吉保、資材の調達は紀伊國屋文左衛門と奈良屋茂左衛門である。又、それに伴って先聖殿(現湯島聖堂)が上野から湯島に移されている。
綱吉の霊廟は宝永6年の11月に竣工したが、それは歴代将軍の霊廟を通じてみても、もっとも整ったものの一つであった。ただ、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失した。この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その廟所と共に、これらの災を免れた貴重な遺構である。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、胴瓦葺。
平成6年3月 台東区教育委員会

 

門前の柵には篤姫の宝塔の写真入り解説もあった。

天璋院篤姫 墓所(非公開)
天璋院篤姫は天保6年(1835)12月19日、薩摩藩今和泉島津家 島津忠剛(ただたけ)の長女として今泉島津家本邸(現在の鹿児島県指宿市)にて生を受けました。幼名一子(かつこ)・於一(おかつ)
嘉永6年(1853)、島津本家28代当主島津斉彬の養女となり、名を篤姫と改めて鶴丸(鹿児島)城に入り、また同年中に鹿児島を出立して京都の近衛家に参殿ののちに江戸城下、芝の藩邸に入っています。
その後、安政3年(1856)に近衛家の養女となり、名を敬子(すみこ)と改め、十三代将軍家定公の正室として輿入れしました。
この輿入れの際に、篤姫は斉彬より十四代将軍に一橋慶喜を推すようにとの密命をうけていましたが、家定公は心身が虚弱で、入輿からわずか二年後の安政5年(1858)に逝去され、十四代将軍には紀州の慶福(よしとみ・のちの家茂公)が就任しています。(落飾し、天璋院と号する)
また同年、養父斉彬が逝去され、篤姫はその密命を果たせぬまま、夫と養父を相次いで亡くしました。
しかし、落胆の中でありながら、篤姫は若き将軍の補佐によく勤め、また大奥をまとめる為にも尽力しました。
公武合体の為、家茂公のもとへ降嫁した和宮とは当初は対立していましたが、のちに心を通わす仲となり、その後敵対してしまった実家(薩摩)に対し、徳川家の存続を歎願するなど江戸城無血開城にも大きく貢献をしています。
明治になると、わずか6歳で徳川家を継いだ十六代家達(いえさと)公の養育に余生を捧げ、明治16年11月に49歳で亡くなるまで、徳川家の為にその生涯を捧げました。
なお、墓所は五代綱吉公霊廟内、家定公の墓所の隣にあり、宝塔の脇には好物であったとされる枇杷の木が植えられています。
平成20年寛永寺教化部 

 

門の脇の高い石垣の向こうが霊廟エリア。厳重に鍵がかかった格子扉を通り抜けていく。

貴重な機会を設けていただき誠にありがとうございました。