墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

増上寺 三解脱門 徳川将軍家墓所 東京都港区芝公園

11/6・7の両日で、東京文化財ウィーク2015の一環として増上寺経蔵の特別公開があった。

浜松町駅・大門駅前の通りを東京タワーの方向の西へ、瓦屋根の増上寺大門をくぐって進むと、増上寺三解脱門に突き当たる。

 

高さ21mの大きな門。 重要文化財指定を受けている。

 

説明板もあった。

三解脱門(さんげだつもん)

慶長16年(1611)に徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭中井大和守正清によって建立され、元和8年(1622)に再建されました。

この門は、増上寺で唯一の江戸時代初期の面影を残す建造物で、重要文化財に指定されています。

三解脱門は、別名「三門」とも呼ばれ、三つの煩悩「貪欲(とんよく・むさぼり)・瞋恚(しんに・いかり)・愚痴(ぐち・おろかさ)」の三悪を解脱する悟りの境地を表しています。

建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、見事な美しさを見せています。

その大きさは、間口十間余(約19m)奥行五間(約9m)高さ七丈(約21m)の二重建て構造。

さらに左右には三間(約5.4m)の山廓を有しています。

上層部(楼上)内部には、中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像が安置されています。

 

 増上寺についての説明板も並んでいた。

三縁山 広度院 増上寺

浄土宗の七大本山の一つ。

三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式の呼称です。

開山は明徳4年(1393)、浄土宗第八祖 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に浄土宗正統根本念仏道場として創建され、文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に大きく寄与してきました。

江戸時代初期、増上寺法主第十二世 源誉存応(げんよぞんのう)上人、後の「観智国師」が徳川家康公から深く帰依を受け、手厚い保護を受けました。

慶長3年(1598)に現在の地に移転し、徳川将軍家菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。

その規模は、寺領1万石余、20数万坪の境内地、山内寺院48宇、学寮百数十軒、常時3千名の僧侶が修学する大寺院でした。

現代でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動のほか文化活動も幅広く行なわれ、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を所蔵しています。

 

沿革と建物については、境内に英語併記の説明板もあった。

 

 文化財や歴史についての解説は公式サイトが充実している。

 

東京タワーを背にした大殿(だいでん) 

1974年(昭和49年)落慶。設計は大岡實。

すでに建っていた東京タワーやプリンスホテルに対し、「谷間に潜ったように」ならないように重層の屋根としたこと等が、下記のサイトに詳しく紹介されていた。

増上寺 大殿 大岡實建築研究所

 

大殿内部は開放的な大空間。

 

大殿内部から三解脱門を振り返ったところ。建物位置の高低差も計算されているように感じた。

 

窓の透かし模様が効果を発揮している時間帯だった。

 

大殿の裏側からは緑の中から聳える東京タワー。

 

大殿に向って右手に安国殿があり、その右に徳川将軍家墓所へ向う道があった。

 

水子地蔵が並ぶ場所を奥へ進む。

 

葵の紋がたくさん入った見事な青銅製の「鋳抜門(いぬきもん)」があった。旧国宝。

 

左側の下り龍にちょうど横から光があたって立体感が強調されていた。

 

墓所は今年の4月から特別拝観が継続されている。入場料500円。

門の前にあった説明板。

徳川将軍家墓所

戦前、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、増上寺大殿の南北(左右)に建ち並んでいました。

墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設からなり、当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟はいずれも国宝に指定され格調ある佇まいでした。

その後昭和20年(1945)の空襲直撃で大半が焼失し、残った建物もその指定を解除されました。

正面の門は旧国宝で「鋳抜門」(いぬきもん)といわれ、文昭院殿霊廟(徳川家六代将軍家宣公)の宝塔前「中門」であったものを移築しました。

左右の扉は共に青銅製で5個ずつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれ、その荘厳さは日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。

墓所には、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公正室、家光公の実母、お江)、静寛院宮(十四代家茂公正室和宮)ら5人の正室、桂昌院(三代家光公側室、五代綱吉公実母)はじめ5人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

 

公式サイトにはさらに詳細な解説がある。

徳川将軍家墓所|境内散歩|増上寺

 

秀忠公とお江の方の宝塔。

 

静寛院宮、皇女和宮の宝塔。

 

家宣公の宝塔。根津神社には胞衣塚があった。

 

宝塔の一つひとつは大きいが、敷地は小石川の伝通院で見た於大の方(家康公の生母)や千姫(秀忠公・お江の方の長女)のものに比べると小さい。

伝通院(でんづういん) 東京都文京区小石川 - 墳丘からの眺め

 

明治期の御霊屋図より。かつては秀忠公・お江の方の霊廟・宝塔は南御霊屋(おたまや)に、他は現在のプリンスホテルが建つ北御霊屋にあった。

台徳院(秀忠公)霊廟は大殿地下の宝物展示室に英国から模型が里帰り中だが、日光東照宮のように豪華絢爛だった。現在その惣門(重文)のみが元の位置(ザ・プリンスパークタワー入口)に残っている。

 

かつての建物の写真。モノクロだが豪華絢爛さが伝わってきた。

 

今はひっそりと、親族が集まっているような雰囲気があった。

つづく。