墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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アマミチューの墓・シルミチュー 沖縄県うるま市勝連比嘉

前回のつづき。

比嘉集落から海に突き出た先の島に、アマミチューの墓があった。

 

一見して奄美から来た人かと思ったら、琉球の天地開びゃく神話に登場する神だった。

以下は「沖縄県勝連町教育委員会 文化財パンフレットより」として引用されていたブログから孫引き。

琉球の国つくりの神話によると、アマミチュー、シルミチューの二神は天帝に国つくりを命ぜられ、琉球の島に降りてきました。二神は天帝から石や土、草をもらって人が住めるような土地にしました。そして、天帝はそこに男女二神を住まわせました。やがて女神は三人の男子と二人の女子を産み、 長男を王に、二男を按司に、三男を百姓に、長女を神に仕える女神官のかしら聞得大君に、次女を村の神に仕える女神官のかしらにしました。 こうして人々の役割が定められ琉球の歴史がはじまったと、言われています。

 

駐車場のそばから徒歩で渡る。

 

海は底がよくみえた。

 

キノコのような形の岩がいくつか。

 

こちらの”渡り廊下”を頭をかがめながら進む。 

 

路面は濡れていてすべりやすかった。満潮時は波が被るようだ。

 

その先を回りこむと拝所へ続く石段があった。

 

石段脇の解説板。

勝連町指定文化財5号 記念物(史跡)
アマミチューの墓
字比嘉の東方海岸にアマンジと呼ばれる岩屋の小島があり、そこに洞穴を囲い込んだ墓がある。地元では琉球開びゃく伝説で有名なアマミチュー、シルミチューの男女ニ神及び他の神が祀られていると伝えられている。毎年、年頭拝みには字比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の人々が多数参加して、豊穣・無病息災・子孫繁盛を祈願している。
また、古くから各地からの参拝者が絶えない、信仰圏の広い貴重な霊場である。
平成7年2月20日 勝連町教育委員会

 

奥へ続く穴が塞がれた形になっていた。 

 

 参拝して振り返ったところ。青空とエメラルドグリーンの海を想像してみた。

 

ここまで来たので、シルミチューも訪ねることにした。アマミチューの墓から車で5分ほどでシルミチュー公園に着く。きれいな砂浜を横目に案内に沿って森の方へ。

 

鳥居が見えてきた。

 

参道の巨木。

 

解説板があった。

シルミチュー
森の中にある大きなガマ(洞窟)が琉球開闢の祖神、アマミチュー、シルミチューが住んだ場所と伝えられています。
毎年、旧正月の年頭拝みには比嘉区自治会が中心となって、比嘉のノロ(祝女)と旧家の有志が豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願しています。また、子ども達が踊りなどを奉納しています。
洞窟内には鍾乳石があり、子宝の授かる霊石として知られ、子授けの信仰があります。
うるま市教育委員会 平成7年2月建立

 

ジャングルの中に鳥居といった趣き。

 

石段は結構上まで続いていた。

 

上がった先はテラス状になっていて柵で塞がれた洞窟があった。

 

参拝者へのお願いとして、①線香は燃えつきるまでお持ちください、②打紙・白紙は持ち帰ってください、とあった。

こちらの方のブログによれば、打ち紙は紙に銭型のスタンプを打った”あの世のお金”

http://senninnsenka.ti-da.net/e6300665.html

白紙は火を灯す前のお線香を載せる”神さまへの帳簿”

http://senninnsenka.ti-da.net/d2014-01.html

 

柵越しに見た洞窟内部。

 

さらに左側を見ると、祠の瓦屋根の一部が見えた。 

こちらでアマミチュー・シルミチューが5人の子どもをもうけたということで、子宝の霊場となっているそうだ。

 

シルミチューに参拝後、砂浜へ降りてみた。 

 

 面白い形をした岩がいくつもある。

 

パノラマで。

 

兼久ビーチというそうだ。夏のタイムプラス動画がyou tubeにあった。

www.youtube.com

つづく。